企業が不祥事を起こし、責任者が90°のおじぎをして、事件の終息を図る際に、多くの場合、「二度と繰り返さないことをお誓い申し上げます」というようなことを言うものである。
ここに日本人の「再発防止」に対する思考の限界を見てしまう。
多くの場合、誤りを犯したので、不祥事を二度と繰り返さないように頑張る、という単純な精神論の方向に行ってしまうのである。
何が問題なのかといえば、取材記者の質問も実に甘いものなのである。
本来なら、下記のような質問の連鎖があっていいだろう。
「問題の真の原因を究明し、裏付けをとるために、どのようなことをされますか。」
「類似の問題が再発するかもしれない状況をどのように想定するのですか。」
「それらの状況の原因を取り除く対策を、どのように考えるのか。」
といった、分析的な質問がされることにより、「二度と繰り返さない」という決意がはじめて実現されるのではないか。
これら「再発し得る」状況への詰めが甘い日本的思考法の改善が望まれることである。
「二度と繰り返さない」などと言う表現は、あまり軽々しく使っていいものではないように思うのだが、いかがだろうか。
2016年7月16日土曜日
2016年7月13日水曜日
196:思考資源の活用 その3
今回は、思考資源を活用する問題をまた提出してみたいと思う。
解いてみて、何かの参考になれば幸いである。
ある電力会社XのCEOが、Y発電所の運営に関する行動計画が、甘いものではないかという問題意識を持っている。
それは、問題が大きくなってから「実は、社長……」ということになるのを憂慮し、状況を改善したいと思っている、ということである。
CEOの憂慮をすこしでも軽減するために、以下に掲げた対策の順番の、どれが適切か、考えてみてもらいたい。
①将来起こりうる問題を想定する
②問題が発生した時の対策を立案しておく
③問題が起こる可能性のある領域を特定する
④予防対策をたてる
⑤リスクの分析を行う範囲を決める
⑥考えられる原因を想定する
(A)①→②→③→④→⑤→⑥
(B)⑤→③→①→⑥→④→②
(C)⑤→⑥→①→②→④→③
(D)⑥→①→⑤→④→③→②
適切な分析の手順は、(B)である。
まず、将来対策を打つ必要のあるテーマの範囲を決める。
その範囲の中で、重大領域(ヤバいところ)を複数判断する。
次に、上で挙げた各領域における、起こりうる諸問題現象を想定する。
そして、諸問題現象の諸原因を想定する。
その諸原因を除去する諸対策(予防対策)を立案する。
最後に、諸問題が実際に発生してしまった時の影響を最小化する諸対策を立案する。
以上の、Organized Common Senseを思考の枠組みとして意識することにより、対策の抜け・漏れを最小化することが可能になるだろう。
解いてみて、何かの参考になれば幸いである。
ある電力会社XのCEOが、Y発電所の運営に関する行動計画が、甘いものではないかという問題意識を持っている。
それは、問題が大きくなってから「実は、社長……」ということになるのを憂慮し、状況を改善したいと思っている、ということである。
CEOの憂慮をすこしでも軽減するために、以下に掲げた対策の順番の、どれが適切か、考えてみてもらいたい。
①将来起こりうる問題を想定する
②問題が発生した時の対策を立案しておく
③問題が起こる可能性のある領域を特定する
④予防対策をたてる
⑤リスクの分析を行う範囲を決める
⑥考えられる原因を想定する
(A)①→②→③→④→⑤→⑥
(B)⑤→③→①→⑥→④→②
(C)⑤→⑥→①→②→④→③
(D)⑥→①→⑤→④→③→②
適切な分析の手順は、(B)である。
まず、将来対策を打つ必要のあるテーマの範囲を決める。
その範囲の中で、重大領域(ヤバいところ)を複数判断する。
次に、上で挙げた各領域における、起こりうる諸問題現象を想定する。
そして、諸問題現象の諸原因を想定する。
その諸原因を除去する諸対策(予防対策)を立案する。
最後に、諸問題が実際に発生してしまった時の影響を最小化する諸対策を立案する。
以上の、Organized Common Senseを思考の枠組みとして意識することにより、対策の抜け・漏れを最小化することが可能になるだろう。
2016年7月9日土曜日
195:思考資源の活用 その2
あなたが部下から、問題が発生したときにどのように取り組んだらよいか、という質問を受けたときに、どのような回答をするだろうか。
この質問に答えることは、かなり難しいと思われる。
しかし、仕事とは、言ってみれば問題解決の連続である。
これら問題の多くは、実際の業務では経験や知識、直観で解決がされているだろう。
しかし、そうはいかない複雑な問題の解決に当たっては、頭の整理が必要になる。
以下に、このような場合の考え方について述べてみたいと思う。
大事なのは、直面している問題の種類をまず確認することである。
以下に、問題状況の種類を大別してみたい。
①状況が錯綜していて、解決するべき問題・課題が見えていない
②問題が発生し、その原因について責任のなすりつけ合いが起きている
③利害対立や自身の思惑などによってなかなかものが決まらない
④決定されたことに対し、その実践段階で混乱している
多くの問題状況は、上記のいずれかに位置づけられるといっても過言ではないだろう。
皆さまがたが過去に直面した状況をこれに当てはめてみると、上のどれかにほぼ落ち着くことだろうと思う。
各々の状況に対する詳細な対応の方法は後に譲るとして、ここでは、問題状況の分類について考えたとき、これらが参考になることを期待する。
この質問に答えることは、かなり難しいと思われる。
しかし、仕事とは、言ってみれば問題解決の連続である。
これら問題の多くは、実際の業務では経験や知識、直観で解決がされているだろう。
しかし、そうはいかない複雑な問題の解決に当たっては、頭の整理が必要になる。
以下に、このような場合の考え方について述べてみたいと思う。
大事なのは、直面している問題の種類をまず確認することである。
以下に、問題状況の種類を大別してみたい。
①状況が錯綜していて、解決するべき問題・課題が見えていない
②問題が発生し、その原因について責任のなすりつけ合いが起きている
③利害対立や自身の思惑などによってなかなかものが決まらない
④決定されたことに対し、その実践段階で混乱している
多くの問題状況は、上記のいずれかに位置づけられるといっても過言ではないだろう。
皆さまがたが過去に直面した状況をこれに当てはめてみると、上のどれかにほぼ落ち着くことだろうと思う。
各々の状況に対する詳細な対応の方法は後に譲るとして、ここでは、問題状況の分類について考えたとき、これらが参考になることを期待する。
2016年7月6日水曜日
194:Robert's Rules of Order
ロバート議事規則(Robert's Rules of Order)とは、wikipediaによれば、
私は2010年ごろ、ある中国の友人から、中国のエリートが習得する必須のスキルにこの「ロバート議事規則」がある、という話をきいて驚いた。
調べてみると、中国には、かの孫文が1920年代にこれを紹介したようだ。
ところが当時はまったく評価されず、近年、1989年に序章(要約)が紹介され、95年にはじめて正式に出版された。
現在では、指導者の基礎的なスキルであると言っても過言ではないような状況になっているようだ。
私の経験でも、少なくとも米国社会では、会議をする場合の手順としてこのルールが普遍的なものとなり、定着している。
留学時代の大学での正式な会議や理事会においても、このルールは用いられている。
このようにある程度グローバルに定着し、中国においても注目されている議事規則が、日本においてはほとんど扱われていないように思われるのだが、どうだろう。
ちなみに、もちろんこの議事規則で最も重要な立場とされる人が議長であり、会議が規則から逸脱していくようなことがあれば、ストップをかけ、修正するのがこの人物の大きな役割である。
国会の各種委員会における議長が、ただ「○○君!」と呼ぶだけの存在であるような、日本の現実とのギャップに唖然としてしまう。
日本でも現在、グローバルに通用する人間にとって、議事進行の基礎ルールの理解が必須ではないかと思う。
アメリカ合衆国陸軍の准将であったHenry Martyn Robert (1837--1923) がアメリカ議会の議事規則を元に、もっと普通一般の会議でも用いることができるよう簡略化して考案した議事進行規則のことである。
私は2010年ごろ、ある中国の友人から、中国のエリートが習得する必須のスキルにこの「ロバート議事規則」がある、という話をきいて驚いた。
調べてみると、中国には、かの孫文が1920年代にこれを紹介したようだ。
ところが当時はまったく評価されず、近年、1989年に序章(要約)が紹介され、95年にはじめて正式に出版された。
現在では、指導者の基礎的なスキルであると言っても過言ではないような状況になっているようだ。
私の経験でも、少なくとも米国社会では、会議をする場合の手順としてこのルールが普遍的なものとなり、定着している。
留学時代の大学での正式な会議や理事会においても、このルールは用いられている。
このようにある程度グローバルに定着し、中国においても注目されている議事規則が、日本においてはほとんど扱われていないように思われるのだが、どうだろう。
ちなみに、もちろんこの議事規則で最も重要な立場とされる人が議長であり、会議が規則から逸脱していくようなことがあれば、ストップをかけ、修正するのがこの人物の大きな役割である。
国会の各種委員会における議長が、ただ「○○君!」と呼ぶだけの存在であるような、日本の現実とのギャップに唖然としてしまう。
日本でも現在、グローバルに通用する人間にとって、議事進行の基礎ルールの理解が必須ではないかと思う。
2016年7月2日土曜日
193:ピースパワー論 その2
以前、186号で私なりの平和の定義を行った。
またその後の191号では、「ピースパワー論」という持論を述べた。
今回は、この「ピースパワー」という、私がここ数年考えているものについて、批判や異論があることを覚悟で、未完成ながらすこし開示してみることにしたい。
ピースパワーとは、
『真剣に平和を希求する諸国の積極的な協力を得て、人類が持つ最新技術を駆使し、地球規模の安全保障に対するイノベーションを前進させる推進力』
のことである。
ここで言うイノベーションの意味は、『現状を否定するのではなく、より望ましい状態をつくりだすために、発想の次元を変える』ということである。
191号で、我が国の世界社会に対する責務が、武力の行使をせずに殺戮をコントロールする手段を開発することであると述べた。
この延長線上の発想で、地球規模の安全保障をどのように構築したら良いかという方法論が展開され、それが憲法9条を持つ日本からの発信になることには大きな意義があるのではないかと思う。
抽象的な話になってしまったかもしれないが、もうすこし具体的なことについては、また後に書きたいと思う。
またその後の191号では、「ピースパワー論」という持論を述べた。
今回は、この「ピースパワー」という、私がここ数年考えているものについて、批判や異論があることを覚悟で、未完成ながらすこし開示してみることにしたい。
ピースパワーとは、
『真剣に平和を希求する諸国の積極的な協力を得て、人類が持つ最新技術を駆使し、地球規模の安全保障に対するイノベーションを前進させる推進力』
のことである。
ここで言うイノベーションの意味は、『現状を否定するのではなく、より望ましい状態をつくりだすために、発想の次元を変える』ということである。
191号で、我が国の世界社会に対する責務が、武力の行使をせずに殺戮をコントロールする手段を開発することであると述べた。
この延長線上の発想で、地球規模の安全保障をどのように構築したら良いかという方法論が展開され、それが憲法9条を持つ日本からの発信になることには大きな意義があるのではないかと思う。
抽象的な話になってしまったかもしれないが、もうすこし具体的なことについては、また後に書きたいと思う。
2016年6月29日水曜日
192:地政学的「平和」の定義とは?
国際政治の専門家に叱られるかもしれないが、日本の安全保障について考えている一国民として、いささか垢にまみれた「平和」ということばの定義を、私なりに披露してみることにしたい。
地政学的にみた「平和」とは、あらゆる紛争や対立が、ひとびとの生命・財産に対して脅威を与えないようにマネージメントされている状態である。
人間や、人間社会に憎悪やもめごと、対立が避けられないという現実を踏まえて、平和をどう定義するかについて、これといった普遍的な定義はないのかもしれないが、上が私なりの定義である。
みなさんの批判を仰ぎたい。
ベトナム戦争時代、当時平塚に住んでいた私は、御殿場の駐屯地にいる米兵と会話をする機会があった。
彼は、ベトナム戦争の悲惨な体験から、彼なりに平和について考え、まさに上の定義に近い話を私にしたのだった。
これは私なりの平和概念の原点といってもいいようなエピソードである。
余談めいてしまうが、ここに記しておくことにする。
地政学的にみた「平和」とは、あらゆる紛争や対立が、ひとびとの生命・財産に対して脅威を与えないようにマネージメントされている状態である。
人間や、人間社会に憎悪やもめごと、対立が避けられないという現実を踏まえて、平和をどう定義するかについて、これといった普遍的な定義はないのかもしれないが、上が私なりの定義である。
みなさんの批判を仰ぎたい。
ベトナム戦争時代、当時平塚に住んでいた私は、御殿場の駐屯地にいる米兵と会話をする機会があった。
彼は、ベトナム戦争の悲惨な体験から、彼なりに平和について考え、まさに上の定義に近い話を私にしたのだった。
これは私なりの平和概念の原点といってもいいようなエピソードである。
余談めいてしまうが、ここに記しておくことにする。
2016年6月22日水曜日
191:ピースパワー論
憲法9条をどうするかという議論が盛んになってきている。
9条は、以下のようになっている。
9条改定派の人々がいうように、これは確かに戦後アメリカによってつくられたものであるのかもしれない。
しかし、だからといってこの素晴らしい理念を捨てて構わない、ということにはならないのではないだろうか。
さて、しかしここで書きたいのは、上の考えとは関連しつつも、ややちがったトピックについてである。
それはつまり、「国際紛争を解決する手段としての武力の放棄」を憲法でうたうのであれば、平和国家たる日本は、武力に代わる紛争解決の手段を開発することが、世界社会に対する使命なのではないか、ということだ。
私はこの紛争状態をマネージする方法論開発の構想を、近年「ピースパワー論」というかたちで考えている。
これはあくまでまだ試案であるし、また内容としてもあまりに非現実的なものでもあるのかもしれない。
しかしこういった考えが、平和とは何か、これを実現するためにはどのようなことが必要か、といった議論の刺激になれば非常にうれしい。
少しずつではあるが、この「ピースパワー論」について、これからみなさんにお伝えしていければと思う。
9条は、以下のようになっている。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。私は、この9条の理念は素晴らしいものであると思う。
9条改定派の人々がいうように、これは確かに戦後アメリカによってつくられたものであるのかもしれない。
しかし、だからといってこの素晴らしい理念を捨てて構わない、ということにはならないのではないだろうか。
さて、しかしここで書きたいのは、上の考えとは関連しつつも、ややちがったトピックについてである。
それはつまり、「国際紛争を解決する手段としての武力の放棄」を憲法でうたうのであれば、平和国家たる日本は、武力に代わる紛争解決の手段を開発することが、世界社会に対する使命なのではないか、ということだ。
私はこの紛争状態をマネージする方法論開発の構想を、近年「ピースパワー論」というかたちで考えている。
これはあくまでまだ試案であるし、また内容としてもあまりに非現実的なものでもあるのかもしれない。
しかしこういった考えが、平和とは何か、これを実現するためにはどのようなことが必要か、といった議論の刺激になれば非常にうれしい。
少しずつではあるが、この「ピースパワー論」について、これからみなさんにお伝えしていければと思う。
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