2014年1月16日木曜日

6:英会話上達のコツは質問すること

 
今回は、前回より短い話題です。

 英会話に対する個人や社会や国の過去の投資を考えると気が遠くなるような数字ではないでしょうか。投資には必ず配当がなければ意味がないのです。英会話を学習することの配当は何かを考えてみましょう。一般的には、英語が喋れるようになることです。

 話は飛びますが、ある人の言によると、人間が人間らしく生きるための条件は5つあるといいます。1つは目的/Purpose、2つ目に見通し/Perspective。3つ目は上達/Increasing Skill。4つ目にに歓び/Joy 最後は帰属/ Sense of belonegingです。そのため、英会話を学習するときにまずは目的を設定すること、自分の目的にあった見通し、仲間、学習をするとき歓び、達成感、上達していることの実感。こういうことが英会話の学習にもあてはまるのではないでしょうか。

 話を前に戻すと、英会話学習の盲点の1つに自分から主体的に話さなければならないと誤解していることです。英会話力の1つは相手をして喋らせることであると私は思います。

 相手をしてどう喋らせるかという発想への切り替えが必要ではないでしょうか。もし相手が喋ったことが理解できなければ対応はいくらでもあるのです。たとえば、「よくわからないからもう1度説明してくれ。I do not understand. Please explain again.」「もっとゆっくりしゃべってくれないか。Please speak slowly」あるいは「易しい言葉にして。Use simple words.」「その単語のスペルを教えてくれないか。 Can you spell that out」と筆談にもっていくなどです。

 すなわち、英会話とは自分が話す能力ももちろん重要ですが、相手に喋らせるためにどのような質問をしたらいいかという発想を持つことも重要で、そのことが上記の5つの条件が満たすことにつながると思うのです。

 質問することは決して失礼ではありません!

5:教育ってなぁに。

いろいろな方との話の中で、日本の教育のイノベーションの重要性が出てきます。
黒川清氏(東京大学名誉教授)によるイノベーションの定義は、「過去の実績を破壊することなく、新しいものを加えて未来を切り拓く」ことであります。このイノベーションという言葉が技術革新と訳されたことが問題です。革新は技術に限らず、社会生活全般に用いられるべきであると述べています。

このような切り口で日本の教育問題を考えてみたいと思います。どうも日本では、目的と手段が混同されていて、多くの場合手段に短絡する傾向があるのでしょうか。教育に問題があるから内容を変更するということは手段への短絡であります。

以前、外国のある大学で「教育(Education)」の定義を聞いたことがあります。このことは以前にも述べましたが復習すると、次のようになります。
「教育とは、人類が不可欠と判断したツールの使い方を身につけることである。」
Education is to learn the use of tools which mankind has found indespensable.
とありました。

ここには2つの重要な概念があります。一つは「ツール」についてです。日本人は「ツール」つまり道具は目に見えるものを作るための道具としか考えないのではないでしょうか。ところが、ここでいう「ツール」はもっと広い意味があり人間生活に有効な道具(たとえば語学、概念、アイディア、思想など)なのです。ですから、教育の目的は、これらを含むいわば人間の知恵の活用の仕方を身に付けることであるといえないでしょうか。

もう一つのポイントは、上記の定義にはこれらの「ツール」を「学習する」とは書いていないことです。それらツールを時代に合った必要性に応じてどのように使うかという応用力まで考え方を広げていることに注目したいものです。これは、単なる知識の習得に限定したことではないのですが、日本はいまだに知識偏重社会であり、このことにみなさんはイラついているのではないでしょうか。一体いつになったら「学識経験者」「有識者」という言葉がなくなるのでしょうか。1番知識を持っているのはコンピュータですが、これを知恵のある問題解決者とは言うことはできないことが自明です。

私が尊敬し親しい友人でもある、東京大学教養学部長を経て副学長を務めた古田元夫さんにあるとき突然、一般教養(Liberal Arts)の目的は何かという質問をしたことがあります。彼はしばらく考えていて、次のように語りました。
「一般教養(Liberal Arts)とは、海図を書きながら人生という航海をするための準備をさせることである。」
この「海図を書きながら」ということは、時代の変化に対し迅速に適切に自分の判断を下し、行動することができる能力と私は解釈します。荒波にもまれても予期せぬ状況に直面しても目的地に向けての進路をあやまらない、ということなのかもしれません。

また、数年前に来日したハーバード大学の女性第1号学長はある講演会で、これからの日本の高等教育で強化すべき領域として、ロジカルにものを考える力、クリティカルに対応できる姿勢、そして説得力のあるスピーチと文章力と指摘しました。これらのことは、今日盛んに重要視されているグローバル人材の育成の本質にもかかわることではないでしょうか。

ところで、ロジカルにものを考えるということは「筋の通る堂々巡りの少ない考え方」と言い換えることができます。「筋の通る」というのは、例えば結論の検証が科学的である、ものごとの根拠が明確である、世界中どこででも通用する人類共通の考え方といえるしょう。

クリティカルシンキングというのは、相手の言っていることを鵜呑みにせず理解したうえで、自身の考えやアイディアを頭の中で形成し発信する能力であるといえるでしょう。