2014年4月28日月曜日

24:石田礼助、上質な人物とは?

国鉄民営化以前の話になりますが、石田礼助という民間出身の国鉄総裁がいました。
三井物産の社長・会長を経て、東海道線の国府津に自給自足の引退生活をしていました。
当時の国鉄の経営が行き詰った段階で、彼が民間から第五代総裁として選ばれました。
就任する際の条件として、驚くべきことに総裁の報酬を返上すること、いまの言葉で言えば総裁職をボランティアで行うことを挙げました。


当時私は平塚に住んでいましたが、ある朝、7時25分小田原発東京行の湘南電車のグリーン車に乗ったところ、石田総裁が車両中央部に座っていたのです。
東京までの約60分の時間を、ひとかどの人物である彼がどのように過ごすのかを知ろうと、私はそのすぐ後ろの席に陣取りました。
本を読む、新聞を読む、書類に目を通す……そういったことをするのかと思いきや、彼は手帳を出し、自分の周囲を観察しながらメモを取っていました。
そこに車掌がやってきて検札をはじめ、石田さんのところに来たとき、私は驚くべき光景を、一種の感動を覚えるような光景を見たのです。


彼は胸からケースを出すと、「ご苦労さん」と車掌に声をかけながら渡しました。
「総裁の身分証明かな」と思った私の期待は完璧に裏切られました。
それは一般のお客と全く同じ定期券だったのです。
彼は無給で総裁の任に当たり、さらに定期券までも自腹を切って購入していたのです。


「租にして野だが卑ではない」―――これは国鉄総裁就任後初の国会登院で彼が述べた言葉です。
口先だけではなく、この信念を石田礼助が潔癖に守っていたことは無給での奉仕に加え、私が見た上の一件からも伺われます。


「人物」と呼ばれる人々は自分の信念を頑なに貫き、行動をとる。
とても自分には真似できませんが、上質な人間とは何かということを彼に痛烈に教えられたように思います。



2014年4月26日土曜日

23:日本人の思考法は異質か?

だいぶ前の話になりますが、日本で成功している外資系の本社幹部に「日本的な意思決定」について40名ほどに講演をしてほしい、と頼まれたことがありました。
その背景は、日本人と議論が食い合わないので、どのようにしたら日本人スタッフと問題解決が効率的にできるかを理解するためのものでありました。


私は、冒頭で2つの質問をしました。
1つは「日本人の思考法は特異か?」
これに対して全員が手を挙げたのです。
この衝撃的な場景をいまでも鮮明に記憶しています。


2つは「では、日本人の論理はみなさんと違うか?」
一方、これに対しては2、3の挙手しかありませんでした。


これは何を意味するのでしょうか。
日本人はもともと論理的な素養を持っているのです。その証明は、数学・物理や技術的な業績に表れているでしょう。
ところが、250年の鎖国により、多文化との接触が極めて少ない状況の中でシステマティックにものごとを考える必要があまりなくなり、共有できるプロセスとして思考法を整理・確立するチャンスを失ったのかもしれません。


この背景をふまえて、国際場面で通用する思考プロセスを確立し、教育することが急務ではないかと思いますし、それは難しいことではないのです。
なぜならそれは新しい論理を学習することではないからです。
日本人の中にすでにあるものを点検・再整理する、という作業以外の何物でもないからです。


優秀な音楽の演奏者を集めて合奏をするときに、「楽譜」という共通の枠組みがなければ演奏は成り立ちません。
日本人がこれからすべき課題のひとつは、この「思考の楽譜」を身に付けることであり、そのためには国家レベルで簡単なプロセス思考の基本を確立して普及させなければならないと思います。



2014年4月21日月曜日

22:世界で議論が噛み合わない日本

シンガポールの友人の話です。彼曰く、同じアジア人である日本人と物事を交渉したり問題解決をするよりも、欧米人とのそれの方が意思疎通がスムーズで、効率良く結論を出すことができる、とのことです。
植民地時代の影響(特に英語の公用語化)・西洋制度の積極的な導入・欧米留学経験者が政府や企業で要職に就き、欧米的な思考法を日常業務で使っていることなど、この背景にはいくつかの要素があるでしょう。


致命的な要素のひとつは、日本語にあります。よく、日本語は主語が明確でなくても意思疎通を図ることができる、と言われます。しかしこれよりも重大なことは、日本語では複数形と単数形が意識して区別されないことです。


例えば上司が部下に、「君の部署の問題は何か」と聞いたとき、「最優先の問題をひとつ挙げろ」と言っているのか、「諸問題を挙げろ」と言っているのかが明確ではないこと、さらに言えば、質問者自身すらこの2つの側面の違いに気づいていない場合があることがあるのです。
「諸問題」であれば、複数の項目が報告され、「優先順位」という発想につながっていくでしょう。
(優先順位の概念は、複数の案件から、他に先駆けて行使するものは何かを判断する行為です。)


このことは、問題が発生した状況での「対策は何か」という質問でも同じです。「諸対策」という発想をすれば、幅広い対応が可能になります。






噛み合わないもうひとつの背景は、日本人が問題から結論に至るプロセスを意識しないことにあります。
私の古い友人でMIT(マサチューセッツ工科大学)で原子力を修士まで学んでいた人がいました。ある期末テストで原子炉にある異常が出た場合、炉の温度は何度になるか、という問題が出題されました。彼は優秀な頭脳の持ち主で、私の記憶では自信を持って「5.6度」と解答用紙に記入し、真っ先に教室を出たそうです。


ところが、この回答への教授の評価は不合格であり、不服に思ったこの友人は教授に直談判に向かいました。教授曰く、この回答が正解であるという根拠が何も書いていない。どのような過程を経てこの数値が出たかというプロセスが不明確である、とのことだったそうです。


友人はこの一件で、結論に至るプロセスの重要性を強く認識したようです。






ところが、日本の対外担当の人間が、結論に至る経過の概形を相手と共有する、という意識があるかは疑わしいと思うのです。
議論のルールや作法といったことがないままに交渉を行っているようです。


単一文化・単一民族の日本ではそれでも良いですが、プロセス思考・システム思考の海外においては、結論に至るプロセスの概要を知る必要があるのではないでしょうか。


TPPの議論でも、よく「切り札」という語が聞かれます。しかし、ポーカーのルールを知らないでは、どこでその切り札を出すべきか、ということなど分からないのでは、と私は思うのです。



2014年4月17日木曜日

21:リニア技術無償提供の意味は?

TPPの大筋合意が、オバマ大統領の訪日前に確定するかどうかが現在大きな課題となっています。
「聖域」といわれる5品目についての担当閣僚の苦労は大変なものでしょう。
後で取り上げたいと思いますが、日本式の交渉プロセスと非日本とのそれの違いが、交渉を混乱させているような気がします。


それはさておいて、4月13日の朝刊によると、安倍総理がオバマ大統領の来日時の日米首脳会談において、日本の超リニア自動新幹線技術を無償提供することを表明するそうです。
私の直観が見当はずれかもしれませんが、この時期に無償で提供するということの意味がよくわからないと感じました。最終的な目的は、ニューヨーク-ワシントン間に新たにリニア新幹線を結ばせることのようですが……。
日本国民とすれば、最近のややぎくしゃくとした日米関係を少しでも良好なものにするという政府の意図であると想像はできるでしょう。
しかし、この安倍総理の提案に対して、オバマ大統領が素直に''Thank you''と言う心境になるか、私は疑問に思うのです。信頼関係の修復・強化の方法として無償にモノを提供する、ということが果たして適切なものであるか……みなさんにも考えてもらいたいのです。


不幸な時代はあったものの、これまで構築してきた日米関係に逆効果になるのではと心配することは、ただのお節介でしょうか。


新聞によると、「この計画を契機に、米国や他の海外市場開拓への大きな弾みになることを期待している」とあります。
できれば商業ベースでなく、純粋な友情の意思である方が良いのかもしれない、と思うのです。

2014年4月10日木曜日

20:「衣」「食」「住」「?」のはなし

水俣病に関する写真集とベトナム戦争時代下でピューリッツァ賞を受けた、ユージーン・スミスというアメリカの写真家がいました。ベトナム戦争下の写真は、ひとりの少女がナパーム弾で衣服を焼かれ、あぜ道を逃げている写真で、記憶にある人も多いでしょう。
私はそこで、衣・食・住と素っ裸の少女の写真が頭の中で交差して忘れられなくなった時期がありました。大いに悩みました。
人間の存続条件としての衣・食・住のうち、なぜ「衣」が最初に来るのか、これに私は悩んだのです。みなさんの肉親の女性が仮に裸で空腹の状態で公衆の面前に立たされたとしましょう。そこに食物と体を覆う布が差し出されたとしたら、どちらに先に手が伸びてほしいか、といえば、それは布の方でしょう。


このことは人間のdignity(尊厳)に関わる問題だと思うのです。


旧約聖書にもこれは書かれています。知恵の実を食べたアダムとイブが「まず最初に」したことは、体をイチジクの葉で覆うことでした。知恵ある、尊厳のある人間という存在は、「衣」なしでは人間としての生を生きられない、ということが古代にすら示されていた、と言ったら過言でしょうか。


私の欧米の友人にこのことを話してみました。彼らは躊躇なく「食」が最も重要である、と答えました。しかし、これも、彼らが狩猟民族であり、「食(動物を狩ること)」が「衣(毛皮)」にもつながることを考えると納得がいくようにも思います。


ところで、シンガポールに出張した際に、中国系の友人にやはりこのような話をしてみました。すると、「中国には人間存続の条件が四つある」という思わぬ回答が返ってきたのです!
衣・食・住に加えて、四つ目のものは、「行」であり、意味は輸送・通信手段とのことでした。広い中国では、この「行」が必要条件であるのでしょうが、日本では国土が狭いため、中国からこの四つが伝播した後に消えてしまったのでしょう。


しかし、このことでいま日本は困っているのです。250年の鎖国も相まって、日本にはこの、他社とコミュニケーションをとるという「行」の考え方が希薄で、それによって現在、外国への発信が他に比べて下手、ということにつながっているのかもしれません。

2014年4月9日水曜日

19:ユダヤ人と日本人

たまたまユダヤ系のアメリカ人との会話で米国におけるユダヤの影響力が大きい理由はなんだ、という議論になりました。
現実は、金融・芸術・情報・高等教育などなどの分野でずば抜けた存在であるからと言っても過言ではないでしょう。いったいなぜそうなのでしょう、ということでまた悩みました。
ユダヤ教の聖典は旧約聖書です。ある時、日英対訳の旧約聖書を読んでいてある発見がありました。日本語訳ではあいまいな箇所が、英語訳ではクリアに記述されていたのです。その箇所は、「出エジプト記 第35章」、内容は神がユダヤ人に与えた基本的な素養であり、それが''the Spirit of God, ability, intelligence, knowledge, craftmanship''の五つであり、日本的に解釈すれば、「宗教心・能力(遂行能力)・知力(the ability to respond quickly and successfully to a new situation/Webstar)・知識・技能」でしょう。


旧約聖書だけでユダヤ人の優秀さを説明し切ることはできないでしょうが、しかしこの記述と日本人についてを併せて考えてみることは有益ではないでしょうか。


どうも日本人が意識しなければいけないことは、ここで言うインテリジェンスという概念と宗教心であるように思うのです。
未来の日本社会を考えるときに、上記の二つの要素が強化されると、日本はさらに素晴らしい国になると思うのですが……。

2014年4月7日月曜日

18:「就職」と''job''

いつの時代においても、若者にとって就職は大きな関心事でしょう。
実は、この就職という単語は、英語に一語で置き換えることができない、つまり英語に「就職」という概念そのものは存在しないのです。
日本以外では、「就職」にあたるものは「jobを確保する」ことであり、組織に属し、身分を保証してもらう、といった考えは薄いようです。
ちなみに、''job''の定義を調べてみると''a piece of work(workの一部)''であり、''work''は様々な意味がありますが、例えば''bodily or mental effort exerted to do or make something(何かをする、あるいはつくりだすために投入される肉体的・精神的な努力)''などとあります。


今の若い学生にとって、就職がいかに重要で、難しいものかは理解しています。しかし、''job''という切り口で、単に組織に属することではなく、自分自身がどのようなresults(成果)や影響を周囲に与えるか、という面を考えてみてもよいのではないかと思います。この成果や影響は、その大小が問題なのではありません。
組織に入る、就職することを考えるのはスタートではありません。自分が何をしたいのか、どのような成果や影響を相手に与えたいのか、というところから考えるのがよいのではないかと思うのです。
''work''するのが目的であり、就職はその手段でしかない……と思うのですが、若い読者のみなさんはどう思われるでしょうか?