2016年9月28日水曜日

214:小泉純一郎元総理の記者会見

9月7日に、日本外国特派員協会(通称外国人記者クラブ)で小泉元総理の記者会見があった。
国内外合わせて150名程度の記者・関係者が集まり、主要テレビ局もカメラを回していた。
会見の内容は、以下のようなものであった。


・2011年3月11日の東日本大震災を受け、東北沖合で「トモダチ作戦」の名で救援活動を行っていた米国艦隊の多くの乗組員が、高濃度の放射能プルーム(雲)の直撃を受け、被爆し、すでに7名が命を落とし、現在も400名を超える人々がガン・白血病に苦しんでいる。
・「トモダチ作戦」に従事していた艦隊に、福島第一原発の事故による放射性物質の流出状況は伝えられていなかった。
・これを受け小泉元総理は被爆した元兵士、現役兵士、軍属など十名と面談をし事情を聴いたが、彼らはみな「自らの任務を果たすため、精一杯活動を行った。日本が好きだ」と述べていたという。
・彼らには健康保険の適用がないため、十分な治療を受けることもままならない。
・よって、「トモダチ作戦」で放射能被害を受けた元アメリカ兵士のため、「トモダチ作戦被害者支援基金」を設立する。




いかがだろうか。
このような実態を多くの一般国民が知らないで5年も経過がしていることをどのように考えれば良いのだろう。
日本のために力を尽くしてくれた人々に対して、日本人はどのように対応すれば良いのだろう。


このような状況が放置されてしまうことで、世界社会における日本の威信や尊厳が損なわれることを私は心配する。




ある外国人記者の、「総理大臣時代には原子力発電を容認していたにもかかわらず、現在ではむしろ原発そのものに反対するのは矛盾ではないか」といった質問に対し、小泉元総理が「当時は原子力安全委員会に騙されていた。過ちを改むるに猶なきなり」と率直に語っていたのが印象的であった。


私はこの基金に賛意を表したい。
ちなみに期間は平成28年7月5日~平成29年3月31日、基金の振り込み先は以下ということだ。




城南信用金庫 営業部本店 普通預金 844688
講座名「トモダチサクセンヒガイシャシエンキキン」
城南信用金庫、基金HP http://www.jsbank.co.jp/38/tomodachi_kikin.html



2016年9月22日木曜日

213:集団的自衛権と自衛隊

『シン・ゴジラ』という映画が最近話題になっているそうだ。
この作品では、「ゴジラ」という大きな問題をマネージするため、自衛隊の出動も大きくクローズ・アップされているらしい。
ところで戦後71年、日本の自衛隊は実戦において、ひとりの犠牲者も出していない。


自衛隊員は命をかけて職務を全うし、最悪の場合には命を落とすことも覚悟のうえであるだろう。
日本では国民感情として、日米安保条約の兼ね合いから、自衛隊員の犠牲者が出ることをなんとなく恐れているように感じられる。


しかし考えてみれば、職務のために危険を冒しているのは、何も自衛隊員だけではない。
消防士にしろ警察官にしろ、自らの職務を果たすために生命の危険を冒すことはある。
2015年5月、閣議決定された安全保障法案により「集団的自衛権」が認められた現在、自衛隊の問題にはさまざまな意見が飛び交っている。
人命を尊重し、自衛隊員の犠牲を恐れるのはもちろん結構ではある。
しかし一国の防衛のために自衛隊員が死傷する可能性があることを、まずいちど現実として受け止めてもいいのではないだろうか。
そこから議論ははじまるのではないだろうか。

2016年9月17日土曜日

212:行政における生産性と責任

企業の労働生産性を高める努力がなされている。
ここでの生産性とはインプットに対するアウトプットの効率性である、と簡単には言うことができる。
企業の生産性が悪いと業績は悪化し株価は下落、経営者は当然、責任を追及されることになる。

これと比較して、行政が行う作業の生産性について、関心を持つ必要があるように思う。
税金の投入というインプットに対して、どれだけの配当が出ているのか、という見地から国民は考え、行政を監視しなければならない。
直近の例で言えば、新東京都知事の判断による築地移転問題である。
この問題に対し、多大な資金が投入されている。
そしてその資金はもちろん、税金である。
当時の築地移転の意思決定の責任者や、その決定事項を実施してきた関係者の責任について、一体誰が責任を負うことになるのだろう。

国家レベルではどうだろうか。
『選択』9月号の記事「血税の焼却炉「産業革新機構」――二兆円が泡と消える「無能国営ファンド」」によると、経産省によってつくられた官僚ファンドが行った不適切な意思決定により、大量の税金がいかに浪費されたかということが書いてある。

民間であれば、投資に失敗した場合、それなりの責任が追及されるだろうし、また失敗の程度によっては企業自体がつぶれることにもなり得る。
「日の丸ファンド」的なものが失敗を起こした場合、一体誰が責任を取るのか。
ここでも行政における生産性と責任の問題は同様のように思われるのである。

常識的に言えば、例えばこのファンドの推進にかかわった国会議員が次の選挙で国民の信任を失う、というメカニズムがはたらくはずだが、日本では機能していない。
これは大いに問題であるように思うのだが、いかがだろうか。

2016年9月14日水曜日

211:日本の将来像

さまざまな機関での世論調査によると、日本の将来はあまり楽観的には考えられていないようだ。
例えば、平成26年の内閣府大臣官房政府広報室による世論調査の結果、50年後の日本の将来についてのアンケートでは、「明るい」33%、「暗い」60%(それぞれ「どちらかと言えば」を含む)であったということだ。
また、楽天による自主調査レポートによれば、9割近くのひとが、日本の将来を不安視している、ということだった。

こういった中で、日本の状況をいちど客観的に捉えて直してみることが必要だ。
例えば、下記のような分析結果が日本の将来に対しての問題意識を喚起する材料になるのかもしれない。
やや恣意的なチョイスではあるかもしれないが、参考にしたい。

・世界競争力(国別):26位(IMD、2016年)
・大学ランキング:東大20位、京大26位(世界大学学術ランキング、2015年)
・GDP:3位(IMF、2015年)
・一人当たりのGDP:26位(IMF、2015年)

・一人当たりの所得:34位(国連、2014年
・研究開発費:3位(UNESCO、2014年)
・軍事力:4位(クレディ・スイス、2016年)
・企業ランキング:トヨタ9位、ホンダ36位、日本郵政37位

(フォーチュン500社のうち52社が日本企業(国別の数では3位)、2016年)
・発行国債残高:1位(IMF、2015年)
・対GDPの教育予算率:115位(Central Intelligence Agecy、2013年)


こういったデータから、日本の将来に対してさまざまな問題が見えてくる。

京セラの稲盛和夫名誉会長は、15年ほど前、ある式典のスピーチのなかで、日本人として継承されていくべき資質として、誠意、礼節、信義、謙虚さ、思いやり、感謝の心といったものを挙げられた。

日本の将来に関する問題はさまざまにあるだろうが、将来像を構築する過程において、このような人間として基本的なValueを忘れてはならないと思うのである。

2016年9月7日水曜日

210:マスメディアはどうなっているの?

『選択』『FACTA』という月間誌がある。
これらには、新聞とは異なった論調の記事が多い。

下記に、『選択』『FACTA』から、「政治」トピックにかんする記事タイトルを列挙してみる。
・自民党「憲法改正案」のでたらめ(2016年8月号)
・安倍が難渋する「生前退位」問題(同上)
・安倍と「電通」の濃密なる癒着(同上)
・菅と二階の「冷たい同盟」(同年9月号)
・安倍「対中外交」に異変あり(同上)

『FACTA』
・安倍「AI戦略会議」は早くも負け戦(2016年6月号)
・「安倍改憲」は2018年夏(同年8月号)
・「安倍の次は稲田」当然の帰結(同年9月号)

これらの記事に関して、論評する資格は私にはない。
とはいえ、これらは新聞・テレビで取り上げられることはないが、国民に議論を促すような話題であるとは言えるだろう。

これらの記事は、安倍政権に批判的なものだと取れる。
しかしこういった批判的な事実が上のような雑誌では明らかにされながらも、NHKや読売新聞が行う第三次安倍再改造内閣の支持率は、8月3、4日の調査によれば55%(前回7月12、13日の調査では53%)と以前高い水準にある。

政治について考える際、新聞・テレビの論調と、上記月間二誌のような取材記事の間に大きなギャップがあることをまず認識しなければならないだろう。

2016年9月3日土曜日

209:働き方とはなにか?

「働き方改革実現推進室」というものが設置されたようだ。
安倍総理みずからが推進室の看板かけを行った、との報道もあった。
総理のコメントのなかには「非正規という言葉を一掃」「長時間労働を自慢する社会を変え、かつてのモーレツ社員という考え方自体が否定される日本にしていきたい」といったものがあった。
しかし、単純に「働き方を変えましょう」と言っただけでは不適切なのではないだろうか。

非正規社員の問題にかんしては、そもそも非正規社員というものが一体どのような背景で定着したのか、という分析をまずしていただきたい。
私が知る限り、他の先進国では、非正規社員という概念は存在しない。
その背景は、以前にも書いたけれども、まず組織に帰属し、それからJob(仕事)が与えられるという考え方がそもそもないからだ。
自分に適正がある仕事を決めてから所属する組織を選ぶという時代に、他の先進国では移行している。

長時間労働・モーレツ社員の問題については、意義あるテーマに没頭する研究者、個人事業経営者、農業従事者、医師そしていま流行りの起業家といった人々の仕事についてどう考えているのか、いまいち不明瞭である。
こういった人々について考えてみれば、長時間労働がそのまま悪いものだ、ということにはならないのではないだろうか。

働き方は政府が示すものではなく、国民それぞれが自己責任の範疇で自ら決めるものではないだろうか。