2016年1月27日水曜日

166:知的エンゲル係数

エンゲル係数という言葉がある。
これは家計の総支出に占める飲食費割合のことであるが、今回は、この言葉を「知的エンゲル係数」という言葉に変えてみて、これについて少し書きたい。


最近、テレビ番組を観なくなったひとたちが多くなったように思われる。
その背景は我々視聴者も考える必要があるだろう。


一般的な表現をすれば、「低俗」と言われるような番組があまりにも多いからなのだろう。
その「低俗」の内容を私なりに分類すると、「コントロールされた観衆付き雑談」「覗き(有名人の自宅・温泉など)」「クイズ」などになる。


ところで、料理番組など食に関する番組がやたら多いと思うのは私だけだろうか。
外国でも確かにこういった番組はあるが、ほとんど平日の午後、対象は主婦としたものである。
日本の食文化を大切にするのは結構なことであるが、エンゲル係数という切り口で観察すると、ゴールデンタイムにもかかわらず、テレビ番組における「知的エンゲル係数」ばかりが増加しているように思えるのは私だけだろうか。

2016年1月20日水曜日

165:Consequenceと思考停止

ひと昔前の、笑い話にもならない、ある企業で起こった話である。


ある時期、石油会社同士が、自社タンカー建造ラッシュに入ったことがあった。
私が以前コンサルタントを担当していたある企業はこの時期、ラッシュに乗り、競合他社と同じ船舶を発注したということだ。
しかしながら、これが完成していざ自社バースに曳航しようとすると、海底が浅く、船が入らないという事態が発生する。
結果バースの大改築が必要となり、膨大な付帯的費用が投じられたのであった。


意思決定をする場合、ある選択肢がたとえ最適に見えたとしても、それをそのまま実施して問題がない場合はまず稀だろう。
従って、仮のものである選択肢に対し、それを実施した場合にどのようなConsequenceがあるかを複数想定することが必要になってくる。
それらConsequencesに対して有効な諸対策が打てるか、という考えがないと、いわゆる思考停止状態になってしまうだろう。


話が大きくなってしまうが、もし国家的事業でこのような事態が発生すれば、国民の税金の無駄遣いになることは自明である。
直近で私が聞いた話では、東京湾にかかるベイブリッジの高さ不足により、我が国が誇るクルーズ船飛鳥が、湾内に入港できない、というものもあった。


笑い話にもならないような思考停止の状態は避けたいものである。

2016年1月16日土曜日

164:総理の記者会見

国家元首の会見に出席する記者が、日本の場合、ほとんど20代ではないか、と思われるほど若い方が多いのが気になっている。
米国をはじめ、他の国の大統領や総理の記者会見の様子をテレビで垣間見ると、記者席の取材陣に40代50代と見受けられる記者が多いことに気が付く。


これは、もちろん各国それぞれの慣習に負うところが大きいのだろう。
しかし、国民の知る自由というのは、単なる表面的な現象に留まるものではないと思う。
ものごとの本質や動機、そして隠れた狙いを取材するためには、記者経験の豊かな人物が必要となるのではないか。


記者としてのプロフェッショナリズムが、日本ではどうも育たないような気がしてしまうのだ。

2016年1月12日火曜日

163:消費と浪費

1960年代、米国留学時に驚いたことがある。
それは、紙製のハンドタオルが公共の施設に備え付けてあったということだ。
当時の日本に不足していた物資のひとつが紙であった。
なんとその紙が、米国ではこのように用いられているのだ、とささやかなカルチャーショックを感じたものだった。


しかしながら一方で、そのハンドタオルの箱には、次のようなことが書かれていた。
“Don't take two, if one would do.”
「一枚で済むなら、二枚は取るな。」


モノが豊かになった日本社会で、「消費」と「浪費」が使い分けられているか、甚だ疑問に思う。
日本人の発想の中に、「もったいない」というものがある。
これには、「消費」、つまりある目的のためにモノを効率的に使うことは許されても、無意味に使うことはいけない、という考えがあるだろう。


政府の発表によると、来年度予算は96.7兆円ということである。
その財源を考えると、悲観を通り越して笑いがこみあげても来るものだ。
日本中の最大の「浪費(ムダ)」は、96.7兆円に示されているような、国民が納める義務があるとされている、税金のムダ使いである。


納税者は心して税金の使われ方を監視し、ものを言わなければならない。
問題は、誰に対してムダの摘発をしたらよいのだろうか、ということだ。
政治家は取り合わない。
役所は無視をする。
マスメディアは無関心だ。


われわれ納税者みずからがしっかりしなければならないのではないだろうか。

2016年1月9日土曜日

162:日本はタイタニック号か

昨年の暮れに、小規模の忘年会を友人が開いた。
会費は5000円だったが、当人は会社経費で落とせるため、会場は非常にデラックスなもので、銀座4丁目に近い15階ほどの建物の最上階へ専用のエレベーターで昇っていった。
その内装も豪華なもので、らせん階段があり、蝶ネクタイの年輩のボーイが接客をしてくれた。
到着したのは私が最後だったのだが、仲間に、この景色を見ておもわずこう言ってしまった。


「まるでタイタニック号のようだね。やがて沈む運命にあるにもかかわらず、乗客も設計者も、この船が沈むはずないという神話を信じ込んでクルーズを満喫しているように思える。」
我が国にも豪華な店が数多くあり、高級な外国車が道を往き、富裕層は海外旅行などをエンジョイしているが、一方で貧富の格差はひろがるばかりである。
ボイラー室ではたらく火夫と同じような労働をする貧しい国民は増えていっている。
日本の現状はまさに、沈みゆく豪華客船タイタニックであるかのように思われてしまった。


「国は沈まない、破産しない」という神話を捨て、この国が持続可能な状況をどのように確立するか、真剣に考えるときが近づいているように思う。
これを真剣に考えるということは、この国がどのような国家目標を持つのか、ということを考えることに繋がる。
国政を委嘱された議員先生方が、国の存亡をかけて、命がけで考えて頂きたいと思うのだ。
政治家の第一義的な責任は、この国の航路・目的地を明確にすることではないか。

2016年1月6日水曜日

161:最大の国家的課題

戦後の復興は、高品質で低価格の製品を開発し、高度経済成長を実現することでなされたと言ってよいだろう。
この過程で、モノの生産におけるムダ・ムリ・ムラは徹底的に改善されてきた。
その背景には、政財官がそれぞれ独立した理念を持ちつつ、共通の方向にむかってチームワークを組んだこともあったであろう。
そしてその中心は、製造業における生産性の向上であった。


一方で、失われた20年を経て、ますます国情の混沌とする現在、差し迫った国の課題は、あらゆる領域における生産性--特に意思決定における生産性をどのように向上させるか、ということであると考える。
もはやモノの生産性の向上だけでは仕方がないのではないか。


生産性とは、成果物のクオリティとコストにかかわる問題である。
国中の組織が行う意思決定のクオリティとコストをどのように改善するかというテーマに取り組まない限り、デフレ脱却もおぼつかない。


ものごとを解決する際、全体を一挙に解決する方法がなければ、マネージしやすい部分に分解し、それら諸課題に優先順位をつけ、具体的に解決策を模索する発想が望まれると思う。
例えば、ある学校の学力水準が落ちてきたときに、どのような対策を打つか。
一般的には、カリキュラムを改善する、教員を再教育するなどの手を打ち、それでも様子が変わらなければ教員を変える、といった流れに短絡するのかもしれない。
しかし、これでは問題の本質的な解決にはならない。
政治家の先生がよく言う、「丁寧に」議論をする、ということばの大きな問題は、処理しやすい部分にわけること――この場合であれば例えば具体的な科目や分野にわけて考えること――をし、それぞれへの個別的な諸対応を取るという発想がどうやら抜けているということである。


一挙に解決できない場合は、複数の問題現象に分離・分解するという発想が不可欠なのだ。
これにより意思決定におけるムダ・ムリ・ムラへの対応が具体的に可能になる。
このような、意思決定の生産性の向上が、これからの大きな国家的課題となるのではないか。

2016年1月1日金曜日

160:教育問題について

教育改革のなかで避けては通れない領域が、ボーダーレス時代において、島国根性を持つ日本人がどのようにサヴァイヴできるか、という問題である。
つまり、世界社会とどうかかわっていくか、世界社会で仕事ができる人間をどう育てるか……という、コミュニケーション力や英語力よりも高い次元の期待成果を考える必要があるということだ。


グローバルに通用する人間にかかせない3つの要素を提言したい。


・グローバルな人材としての人格形成
このような高邁なことについて述べる資格は私にはないのだが、ひとことで言えば、「他人と対等に渡り合い、世界に通用する良識を持ち、尊敬される人間になること」である。


・問題解決力
辞書によればこれは、「いくつかの事物に共通なものを抜き出してそれを一般化して考えるさま」とある。
この論理的思考力、というべきものが、国際的に通用するものであることは言うまでもない。
また、これを私なりに言えば、どのような状況に直面しても、ソリューションを導き出すためのものの考え方の枠組みを持つということだ。




・遂行能力
目的を達成することに対して使命感と情熱を持ち、単なる能力ではなく、行動に結びつく意志力を持つこと。
良くも悪くも、と言うと言い過ぎかもしれないが、きちんと結果を出すということだ。


このような理念を持ったうえで、教育改革を行って頂きたいものだ。
ボーダーレス社会とは、日本を含んでいることは言うまでもない。


日本人には、この諸力を開発するポテンシャルが十分ある、と私は思う。