2017年11月29日水曜日

289:教育改革のひとつの原点

立派な先生方が、グローバル化に対応する目的もあってのことだろうが、教育改革について様々な提言をされている。
これらのすべてを読んで理解する能力は私にはないが、素人なりに考えて、ここにはひとつの大きな欠落があるように思う。
それは、教育において最も基本的な領域である「考える」ことについて、どのように教科に入れ込んでいくのかである。

例によって、「考える」を広辞苑で引くと、5項目ほどあり、代表的と思われるものを引くと、「事情を調べただす。思考をめぐらす。あれこれと思量しことを明らかにする。学ぶ。学習する。」とある。

日本語の「考える」を英語の"think"と比較してみると面白い。

Webster英英辞典では、まず"think"だけで、他動詞に8項目、自動詞でも5項目が見られる。
そのうちの自動詞からひとつを抜き出すと、以下のようなものがある。

Think


to bring intellectual faculties into play; to use the mind for arriving at conclusions, making decisions, drawing inferences, etc.; to perform any mental operaction; to reason.
知的機能を活動させること。結論に至るために、決定するために、また推論するため等に、精神を用いること。あらゆる精神活動を行うこと。理由付けをすること。

そもそもの「考える」という語についても、様々な見方があるようである。
日本の教育改革論のなかで、「考える力」についての論議が十分なされたとは思うが、しかし今一度、「そもそも考えるとは何か?」という原点に戻ってみる必要がある。
グローバル化を考えるなかで、"think"する能力の重要性を、いまさら言う必要はないであろう。

2017年11月18日土曜日

288:真剣に国を想う心

中国の日本大使館で公使を務め、青年海外協力隊の生みの親でもある伴正一先生という人物の勉強会が、いまでも続いている。
この伴先生の「平和の仕事」という平成11年にまとめられた講演録の一部を引用させていただく。


 アメリカに「アメリカさん、ちょっと待ちなされ」と言ってアメリカが耳を傾けるような助言者、たまには指南役に日本はなろうや、というのが私のナンバー・ツー論なのです。(略)
 それにはやっぱりですね、平和の仕事の方でもしっかりやらんといきません。厳しい局面になると逃げ回って、「血を流す役はよその国でやってくれ」みたいな、身勝手なことを言いよったら、そんな日本の言うことにアメリカが耳を傾ける筈がありません。
 もう一つは見識が無けりゃいきません。
 アメリカが一目置くような見識を日本が持ち備えるようになるということは、国家百年の計と言える大目標です。素晴らしい若者の夢にもなり得ましょう。いい大学とかいい会社、そんな次元でしか目標を立てられないようなことでどうなりますか。日本は維新この方、有色人種の先頭を切ってきた国ではありませんか。



17年前の伴先生の言葉が、いまだ今日的な意味を持つことに驚かされる。
世界社会に対する日本の役割を、たとえば今日の若者たちにも考えてほしいものだと思う。

2017年11月11日土曜日

287:意思決定の盲点

潔癖さをつい目指しがちである日本人が、意思決定に際して陥りがちな盲点がある。
日本人は、時間をかけて論点を洗い出し、合意形成としての意思決定を行うことが多いであろうし、このこと自体は悪いことではない(結論に至る思考工程が論理的で効率的であるかは別として)。

しかしこのとき、関係者一同は、最終的な結論に十分満足し、実施段階において成功裏に所定の成果が出ることを疑わない。

つまり盲点は、この結論案を実行した場合に、何か不備なことが起こるかもしれないという可能性に対する思考が停止していることである。
全力を投球し、最適な結論を出すことができたという自負があるために、"What could go wrong?"という問いが抜けてしまう。
あるいは、そのように問うこと自体を自己矛盾であり、悪いことだと考える潔癖さがあるために、思考停止を招いてしまう。

日本の先達は、ものごとを決める際、「後先のことをよく考えて決めろ」などと言ったようだ。
これは、ある判断をするときに、その判断が将来引き起こすかもしれない問題点を考慮して最終判断をしろ、という教訓であるように思う。
これは英語で言う"Consequence"の概念でもある。

Consequence
that which follows from any act, causes, principle, or series of actions. a logical result; an event or effect produced by some preceding act or cause; result. logical result or conclusion; inferences; dedution.

あらゆる行動や原因、原則に、あるいは一連の行動に続くもの。論理的な帰結。先行する行動や原因から生じる出来事や効果。論理的な結果、あるいは結論。推論、推論による結果。

日本の国際競争力を考えるときに、この"Consequence"という概念を認識することが非常に必要であると思う。

2017年11月4日土曜日

286:イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官

安倍晋三総理が、「おもてなしの精神」で米国からの重要人物、イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官を歓待することは大いに結構なことと思う。
しかしここでひとこと、明治の元勲、西郷隆盛の遺訓をシェアしておきたい。

正道を踏み国を以て斃るるの精神なくは外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し円滑を主として曲げて彼の意に順従する時は軽侮を招き好親却て破れ終に彼の制を受るに至らん。(『南洲翁遺訓』より)

このような国になってもらっては困る。
また、このようなことが前例になると、他の国の元首の訪日の場合どのように対応するのだろうと心配になってしまう。

2017年11月1日水曜日

285:「なぜ」という問い

最近、オーストラリア出身の友人で、日本の私立大学の学長を務めたこともある人物と、日本人の考え方の特性について色々と話をする機会があった。
そこで、日本人の美点でもあり欠点でもあることのひとつが、"Why"を問わない文化であることだ、という指摘があった。
これはまさにその通りである。

私なりに"Why"を問う目的を整理すると、それは4つに分類される。

過去の現象の原因を問う「なぜ」。
複数問題の優先順位を問う「なぜ」。
意思決定の根拠を問う「なぜ」
リスクの原因を問う「なぜ」

このような話をその友人に返したところ、日本の社会でこれから最も重要になる「なぜ」は、三番目の「なぜそれを選ぶのか」というものであるという。
確固たる根拠が明確でなければ、行動を起こしても失敗をしてしまうのだ、ということをこの問いは示唆している。

日中関係の親善を促進する日本のNPO団体が、日中のジャーナリストを集めてシンポジウムを開いたことがあった。
その報告書の中に、中国人ジャーナリストのコメントとして次のようなものがあった。
「日本のジャーナリズムは、ある事件や現象が起きた際の、詳細な説明に関する記事は実に見事である。しかしながら、そこには「なぜ」という発想が抜けているのではないか」
このような記事を友人との会話の中で思い出しもしたのであった。