2016年7月27日水曜日

200:優先順位ってなに?

日本社会では特にそうかもしれないが、言葉や概念の定義が共有されておらずに使われる場面が多いように思う。
国際社会において、そんな日本人と外国人がまったく異なった定義を前提として議論を進めると、噛み合わないということが起こる。
するともちろん、課題に対して結論が出ることなく、不毛な結果となり、お互いにフラストレーションを残す。

同様に日本国内においても、明確な定義を共有することなく、わかったようなわからないような結論で議論が収束する場合が目立つようになっていると思う。
その例のひとつが、優先順位(プライオリティー)という言葉についてである。

たとえば国会討議といったような、組織のなかの会議において、優先順位にかんする議論が起こるという場面がある。
ところでここで考えてみたいのは、ある案件でプライオリティーが高いという発言をした人に、それはなぜですか?と訊いたとき、どのような答えが出てくるだろうか、ということである。
多くの場合、当該案件に対する単なる説明に終始するのではないだろうか。
当たり前のことであるが、優先順位にかんして考えるときには、なぜある案件が他よりも優先するのか、という設問に明確に答えられなくてはならない。

そこで、説得力のある優先順位の根拠は通常、3分類できるのでこれを紹介したい。
第一には、その案件の重要度である。
これは、英語でImportanceという言葉よりも、Seriousnessという語がふさわしい。
例えば、ある案件が組織全体にかかわるものなのか、その一部なのか。
あるいは金額で100億円の案件なのか、1億円の案件なのか。
こういったことを条件に、Seriousnessが判断される。

第二、第三には、緊急度と拡大傾向。
ここでいう緊急度とは、期日が決められているなどの明確なデッドラインがあるのかどうか。
またその期日までどのくらいの時間が残されているのかどうか。
拡大傾向とは、当該案件をそのまま放置した際に、やがてより望ましくない状況になるのか、あるいは消滅してしまうようなものであるのか。
消滅・縮小するような案件であれば、急いで手をつけなくても良い可能性がある、ということに当然なる。

つまり「当該案件の優先度が高い」という判断の背景に、その重要度(Seriousness)の判断があり、また期日(緊急度)および放置するとどのようになるか(拡大傾向)という3つの異なる基準が存在してはじめて、判断は論理的で説得力あるものになるのである。

蛇足になるかもしれないが、よく見られる混乱は、「優先順位付け」と「意思決定」の関係である。
優先順位とは、複数ある案件のなかで、他に先駆けて行使するものを判断するもの、意思決定は、あるテーマに対して、複数ある選択肢から最適なものを選ぶというまったく目的が違った思考行為であることを認識したい。
またこの考え方は、グローバルに通用する定義であるといっても過言ではないのである。

2016年7月23日土曜日

199:国家の安全保障ってなに?

各国とも、政治にたずさわる人たちは、二言目には「安全保障」「ナショナル・セキュリティ」といった発言をされる場合が多い。
しかし考えてみれば、一国の安全保障を拡大していくと、当然ながら別の国の安全保障との間に摩擦が生じることは、歴史が物語っている。

これに関連させてみたいことがらとして、私の高校時代の恩師が晩年、次のようなことを語ってくれた。
いわく、「ある時点において自身の自由の限界を認識することが、自由そのものを拡大させることにつながる」。

これは自由に対する非常に本質的な洞察ではないだろうか。
そしてこの発想が、諸国間の安全保障の議論に適応できるのではないかと私は考える。
つまり、世界の中での自国の安全保障の限界をはっきりと認識することこそが、真の意味で安全保障の拡大へとつながるのではないか、ということである。

このように安全保障とは、グローバルな次元から発想しなければ、殺戮や戦争がManageされる人類が望むような状況に到達できないといえないだろうか。
憲法9条を持つ日本においては、安全保障についても、地域は無論、グローバルな安全保障をどうするかという、次元の上位展開をすることが世界社会に対する発信になるかもしれない。

なお言ってしまえば、その答えは、ただ有識者会議を開いているだけでは出てこない。
切実な問題意識を持った人間が、死ぬ思いで考え抜けば、答えが出てくることだろうと私は思いたい。

たとえば生物学の分野で驚異的な成果をあげた京大の山中教授の原点もおそらく、問題を共有する数人の仲間と死ぬ気で、寝食も忘れて研究されたということにあるのではないだろうか。

2016年7月20日水曜日

198:Jump to Conclusion

結論に短絡する傾向を上のようにJump to Conclusionという。

たとえば、
モノが売れない→営業の強化をしろ
利益が確保できない→ムダをなくせ
こどもの成績が落ちてきた→家庭教師をつけろ
イベントの人が集まらない→担当者を変えろ
投票率が下がってきた→有権者年齢を下げろ

これらは短絡思考の典型である。
本来であれば、ある望ましくない状況が起きたとき、「なぜ」そのような状況となったのかという諸原因を調べてみることが必要であることは言うまでもない。
しかし、意識をしないと、我々はどうしても対策に短絡する。
さらに悪いことには、その対策が有効でないと、場当たり的に適切でない手段に訴え続けることになる。

例えば「モノが売れない」という場合であれば、短絡的に営業の強化を図ったものの状況は好転しない、ということは十分あり得る。
そしてさらにこの原因に対する分析をしないままに営業企画担当を変えてみるというような、気づかぬまま泥沼に入っていく場面も実際数多く起こっていることだろう

今回の参議院選挙の場合も、国民の選挙離れと投票率の低下という現象に対して、それらの諸原因をきちんと見極めることなく選挙年齢を18歳に引き下げるという短絡思考があったのではないかと疑問に思う。
投票率は結局好転しなかったが、今度は16歳まで下げて解決を図るのだろうか?

2016年7月16日土曜日

197:「二度と繰り返さない」というフレーズの意味

企業が不祥事を起こし、責任者が90°のおじぎをして、事件の終息を図る際に、多くの場合、「二度と繰り返さないことをお誓い申し上げます」というようなことを言うものである。
ここに日本人の「再発防止」に対する思考の限界を見てしまう。
多くの場合、誤りを犯したので、不祥事を二度と繰り返さないように頑張る、という単純な精神論の方向に行ってしまうのである

何が問題なのかといえば、取材記者の質問も実に甘いものなのである。
本来なら、下記のような質問の連鎖があっていいだろう。
「問題の真の原因を究明し、裏付けをとるために、どのようなことをされますか。」
「類似の問題が再発するかもしれない状況をどのように想定するのですか。」
「それらの状況の原因を取り除く対策を、どのように考えるのか。」
といった、分析的な質問がされることにより、「二度と繰り返さない」という決意がはじめて実現されるのではないか。

これら「再発し得る」状況への詰めが甘い日本的思考法の改善が望まれることである。
「二度と繰り返さない」などと言う表現は、あまり軽々しく使っていいものではないように思うのだが、いかがだろうか。

2016年7月13日水曜日

196:思考資源の活用 その3

今回は、思考資源を活用する問題をまた提出してみたいと思う。
解いてみて、何かの参考になれば幸いである。

ある電力会社XのCEOが、Y発電所の運営に関する行動計画が、甘いものではないかという問題意識を持っている。
それは、問題が大きくなってから「実は、社長……」ということになるのを憂慮し、状況を改善したいと思っている、ということである。
CEOの憂慮をすこしでも軽減するために、以下に掲げた対策の順番の、どれが適切か、考えてみてもらいたい。

①将来起こりうる問題を想定する
②問題が発生した時の対策を立案しておく
③問題が起こる可能性のある領域を特定する
④予防対策をたてる
⑤リスクの分析を行う範囲を決める
⑥考えられる原因を想定する

(A)①→②→③→④→⑤→⑥
(B)⑤→③→①→⑥→④→②
(C)⑤→⑥→①→②→④→③
(D)⑥→①→⑤→④→③→②

適切な分析の手順は、(B)である。
まず、将来対策を打つ必要のあるテーマの範囲を決める。
その範囲の中で、重大領域(ヤバいところ)を複数判断する。
次に、上で挙げた各領域における、起こりうる諸問題現象を想定する。
そして、諸問題現象の諸原因を想定する。
その諸原因を除去する諸対策(予防対策)を立案する。
最後に、諸問題が実際に発生してしまった時の影響を最小化する諸対策を立案する。

以上の、Organized Common Senseを思考の枠組みとして意識することにより、対策の抜け・漏れを最小化することが可能になるだろう。

2016年7月9日土曜日

195:思考資源の活用 その2

あなたが部下から、問題が発生したときにどのように取り組んだらよいか、という質問を受けたときに、どのような回答をするだろうか。
この質問に答えることは、かなり難しいと思われる。

しかし、仕事とは、言ってみれば問題解決の連続である。
これら問題の多くは、実際の業務では経験や知識、直観で解決がされているだろう。
しかし、そうはいかない複雑な問題の解決に当たっては、頭の整理が必要になる。
以下に、このような場合の考え方について述べてみたいと思う。

大事なのは、直面している問題の種類をまず確認することである。
以下に、問題状況の種類を大別してみたい。
①状況が錯綜していて、解決するべき問題・課題が見えていない
②問題が発生し、その原因について責任のなすりつけ合いが起きている
③利害対立や自身の思惑などによってなかなかものが決まらない
④決定されたことに対し、その実践段階で混乱している

多くの問題状況は、上記のいずれかに位置づけられるといっても過言ではないだろう。
皆さまがたが過去に直面した状況をこれに当てはめてみると、上のどれかにほぼ落ち着くことだろうと思う。
各々の状況に対する詳細な対応の方法は後に譲るとして、ここでは、問題状況の分類について考えたとき、これらが参考になることを期待する。

2016年7月6日水曜日

194:Robert's Rules of Order

ロバート議事規則(Robert's Rules of Order)とは、wikipediaによれば、

アメリカ合衆国陸軍の准将であったHenry Martyn Robert (1837--1923) がアメリカ議会の議事規則を元に、もっと普通一般の会議でも用いることができるよう簡略化して考案した議事進行規則
 のことである。


私は2010年ごろ、ある中国の友人から、中国のエリートが習得する必須のスキルにこの「ロバート議事規則」がある、という話をきいて驚いた。
調べてみると、中国には、かの孫文が1920年代にこれを紹介したようだ。
ところが当時はまったく評価されず、近年、1989年に序章(要約)が紹介され、95年にはじめて正式に出版された。
現在では、指導者の基礎的なスキルであると言っても過言ではないような状況になっているようだ。

私の経験でも、少なくとも米国社会では、会議をする場合の手順としてこのルールが普遍的なものとなり、定着している。
留学時代の大学での正式な会議や理事会においても、このルールは用いられている。

このようにある程度グローバルに定着し、中国においても注目されている議事規則が、日本においてはほとんど扱われていないように思われるのだが、どうだろう。

ちなみに、もちろんこの議事規則で最も重要な立場とされる人が議長であり、会議が規則から逸脱していくようなことがあれば、ストップをかけ、修正するのがこの人物の大きな役割である。
国会の各種委員会における議長が、ただ「○○君!」と呼ぶだけの存在であるような、日本の現実とのギャップに唖然としてしまう。
日本でも現在、グローバルに通用する人間にとって、議事進行の基礎ルールの理解が必須ではないかと思う。

2016年7月2日土曜日

193:ピースパワー論 その2

以前、186号で私なりの平和の定義を行った。
またその後の191号では、「ピースパワー論」という持論を述べた。

今回は、この「ピースパワー」という、私がここ数年考えているものについて、批判や異論があることを覚悟で、未完成ながらすこし開示してみることにしたい。

ピースパワーとは、
『真剣に平和を希求する諸国の積極的な協力を得て、人類が持つ最新技術を駆使し、地球規模の安全保障に対するイノベーションを前進させる推進力』
のことである。

ここで言うイノベーションの意味は、『現状を否定するのではなく、より望ましい状態をつくりだすために、発想の次元を変える』ということである。

191号で、我が国の世界社会に対する責務が、武力の行使をせずに殺戮をコントロールする手段を開発することであると述べた。
この延長線上の発想で、地球規模の安全保障をどのように構築したら良いかという方法論が展開され、それが憲法9条を持つ日本からの発信になることには大きな意義があるのではないかと思う。
抽象的な話になってしまったかもしれないが、もうすこし具体的なことについては、また後に書きたいと思う。