2014年11月24日月曜日

64:日中韓の歴史認識

ある少人数の会で、谷垣禎一・自民党幹事長の話を聞く機会がありました。
当然、政治家として、この問題に触れられました。


谷垣幹事長のアイデアは、歴史問題をはじめ、存在する懸案事項を関係各国が共同して解決策をつくりだすことが重要ではないかというものでした。
また谷垣幹事長は「3つの国の歴史文化・メンタリティが異なっているので、結論は各々別々で良い」といった趣旨のことも言われました。
3国間が同意した各国別々の歴史認識を作り上げるということです。
重要なのは、それぞれの国の歴史認識をつくる際に、共同作業をするということなのだ、ということでした。


どうも、日中・日韓の歴史問題は、両国間で一致した内容で同意されなければならないという「呪縛」があるように思います。
この谷垣幹事長の発想は、まさにこの呪縛を解くための賢いヒントとなっているような気がしました。

63:マスメディアはもっと''Why''を考えよう

2国間の外交交渉の中で、日朝の拉致問題ほど多くの時間がかかり、またご家族・関係者の心境を考えると胸が痛むことはないでしょう。


複数の人命が他国によって不当に拉致され、その実態すら明らかにされないことに対し、日本以外の大国であれば、もっと強硬に交渉を進めているのではないかと思います。
そこで、マスメディアはなぜこの問題の交渉が進展しないか、堂々巡り、振り出しに戻ることの繰り返しなのかについて、もっとジャーナリスティックな視点で分析をしないのかと思います。
報道されることは、「いつ・誰が・どこで・なにを」話したのかという現象に関するものだけで、「なぜ時間がかかっているのか」ということには触れられていないのかと思います。


なぜ毎回のように振り出しに戻るのだろうか、一般の国民も、そのことの背景を考えたら良いと思うのです。


人命にかかわる案件が、これだけ長く解決しない背景にはなにがあるのか、と思ってしまいます。
この状況に無関心で及び腰であってはいけないと思います。


このことを、マスメディアが取材し、分析してほしいのです。
原因がどこかにあるに違いないのではないか。


なんと、横田めぐみさんが拉致されてから、37年が経過しています。


話は飛びますが、日韓の平和条約締結時に日本が韓国に支払った戦争賠償金は無条件に(当時のレートで)3億ドル。
これは、当時の日本の外貨準備高の27%にあたるものです。


これだけの賠償・またそれ以外の経済援助がなされたのが韓国に対する日本の戦争賠償でありました。




このことを考えると、北朝鮮が高額の賠償を要求するためのレバレッジとして、このような方法をとっている面があるのではないか、と思わざるを得ません。
マスメディアは「なぜ」この問題の解決が進まないかということに対して、もっと本質を突く議論をしてもらいたいと思います。
それが、マスメディアの使命ではないでしょうか。


欧米では、「報道」のことを「プレス(Press)」と呼びます。
この言葉には、「押す」だけでなく、「強いる」というような意味合いがあります。
実際、欧米では、報道の「強いる」力によって正義がなされたということは多くあるでしょう。


最後に、日本のマスメディア(Press)の力で、真実がさらけ出されるような結果を出してほしいということは多くの国民が期待していることではないでしょうか。

62:傍観から行動へ

アベノミクスの成否を世界社会が注視しています。
この成否に対して最も関心を持つべきであるはずの日本人に、興味のあるような人が少ないのはどうしてでしょうか。


会社は潰れても国は潰れない、と国民も政治家も役人も思っているのではないでしょうか。
ところが、我が日本丸は大きな問題を山積みにしており、いわば船が傾き、太平洋をゆらゆらと暢気に漂流しているのではないかと思うのです。


では、なぜ日本人は暢気にしていられるのでしょう。
それは、船で言えば、各々の客室に入れば、実に立派な・満足すべき状態であるからだと思うのです。
ベンツやBMWを持って、適当に海外旅行もする、服装もおしゃれな服装をして、テレビを見れば女性の肌・髪の毛・痩身などなどのコマーシャルが目につきます。
一部の低所得者を除いて日本人はある程度、自分の現状に満足しているのではないでしょうか。


国の財政・医療費の負担・年金問題・低所得者の増加…などの穴が日本丸の船腹に空いたらどうなるのだろうと心配するのは私ひとりではないと思いたいのです。


しかし、国会の赤い絨毯を踏んで歩く先生方にはそのような緊張感が見られない、と恐ろしい思いをしている方は多いのではないでしょうか。
生産工場で不良品が発生し、それを放置しておけば、不良品の山ができ、人々は解決策を考え、再発防止・改善を考えるはずです。
ところが、国会でどのような不良品、つまり悪法・判断の過ちがあっても目に見える形で山のようにはなりません。


もっと深刻なことを言えば、国会では誰一人責任をとる必要ではないのです。
衆議院を解散することが責任をとることなのでしょうか。


わが日本丸が浸水する前に、日本人は傍観から行動へと舵を切らなくてはならないと思うのです。

2014年11月22日土曜日

61:目的と手段 / 日中首脳会談について

人間の癖・傾向としてある行動を起こすときに、どうしても「手段」に短絡してしまうということがあるでしょう。


例えば、事務所でコピー機を購入しようという話になったとしましょう。
まず多くの人がするであろうことはカタログを集めるという「手段」であるでしょう。
「目的」を考えずに「手段」を考えることで適切にな成果が達成されるのであれば、「目的」について考える必要なないでしょう。


なぜ「手段」に短絡するのでしょうか。
それは、あまり頭を使わなくても済んでしまう、安易ではあるが、興味を満足させることができるものだからです。


このような発想が例えば「コピー機を買う」といった単純なことに使われるのはいいですが、「国の外交」といった、国民の生命や財産にかかわることに応用されるのは、たまったものではありません。
先日11月8日の報道では、日中首脳会談の話題でもちきりのようでした。
しかし、「懸案は棚上げ」なる報道も同時に見られるようです。


はたしてここに「目的」はあるのでしょうか。
これはまさに「手段の目的化」
首脳会談を開く、ということ自体が目的化しているように思えるのです。



中身についてくどく触れたくはありませんが、合意された四項目のうちの一つは「尖閣諸島など東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を見解を有していると認識」したというものです。
これは全く中身のないものではないでしょうか。


多数の中国漁船が日本近海に出没し、不法と思われる行為をしているにもかかわらず、なんとも暢気な外交姿勢なのでしょうか。




目的を設定した首脳会談であったなら、つまりアジアの安全・安定を維持するために両国にとって優先すべき具体的な懸案事項について、論議をし、合意するという「目的」があったならば、この会談はまず開かれることは期待できなかったでしょう。


日中首脳が会談したことが「外交の成功」であると思う人がいたら、これはとんだ思い違いであると断言できるでしょう。
安倍総理の目的は日中会談を実現させることだけであったなら、日本外交の「勝利」でしょう。
アジアを含む諸外国の反応が楽しみです……

60:質問を嫌がる日本人 その2

9月17日に発信した51号「質問を嫌がる日本人」にはかなりの反響がありました。
特に、責任を追及するような質問と、ものごとを判断するための情報を得る質問を区別することが重要だという整理ができたと思います。






ものごとを判断する際の質問を分類すると
「なぜ複数の課題のうち、それから手をつけるのか」「なぜそのような問題(現象)が起きたのか」「なぜその案を選ぶのか」「なぜそれらの対策でリスクがカバーできるのか」
の4つが考えられるでしょう。


今回はこのうち、特に「なぜその案を選ぶのか」という質問において、どのようなものが「鋭い質問」となるかを考えたいと思います。






鋭くない質問とはどのようなものなのでしょう。
モノを決めるときの質問で考えてみます。


「マンションを買う」というテーマがある場合、不動産業者に次のような質問をするのが一般的ではないでしょうか。業者に提示された案に対して……
「間取りの詳細はどのようなものですか?」「価格はどれくらいか?」「近隣の環境はどうか?」「築何年の物件なのか?」「値上がりは期待できるか?」「周囲にはどのような交通機関があるか?」
……このようなものです。


これらの質問は、ある特定の物件について詳細を知るための質問です。


もしこれで気に入って購入する場合は良いですが、他の複数の選択肢が提示されたときには、全く異なる種類の質問が必要になるでしょう。


それは例えば
「間取りはできるだけ広いものはどれか」「なるべく低い価格の物件はどれか」「生活上の利便性が高いものはどれか」「物件の建築年数が短いものはどれか」「値上がりが期待できるものはどれか」「交通機関へのアクセスが15分以内であるものはどれか」
といったものです。


このような質問は複数の物件を選ぶ際に、結果として判断基準として使うことができるでしょう。


このように鋭い質問とは、モノを決めるときの判断基準を確立し、効率的により良い選択をすることに繋がる質問と言ってもいいでしょう。



2014年11月8日土曜日

59:政治に対する意識改革

あれだけ期待された女性経産大臣があっという間に更迭されました。
国の経営を任せている内閣と与党がこの有様ではしょうがないという声が、普段政治にあまり関心のない人々からすらも聞こえてきます。


この背景について私なりの考えを述べてみたいと思います。


まず、有権者の政治家に対する不信感が顕在化してきていること。
これは、政治家の倫理観や政治信念の欠如に原因があるでしょう。


国会議員に「あなたの政治信念はなんですか?」と質問した場合、即座に一言で答えが出せる議員はあまりないのではないでしょうか。
先生方が最も関心を持っているのは国の経営のことではなく、次の選挙でどうしたら当選できるかということでしょう。


倫理観について、例えば米国の医薬品業界ではどのように考えられているでしょうか。
処方薬はEthical drug、市販薬はover the counterと呼ばれています。


Ethical drugの意味は、「倫理観を持つ医師のみが扱いを認められている薬品」であり、over the counterは「薬局でカウンターごしに販売されるもの」として区別されます。


政治家もover the counterでは困るのです。
倫理観を持って、行動する意識を持っていただきたいものです。




次に考えたいのは、選挙で勝つことを最優先することは如何なものか、ということです。


自身の政治実績や理念・信念の実現を国政にどのようにして具現化するか、というウエイトを高く持っていただきたい。


具体的には、多くの政治家が温存している選挙区の後援会の意識が変わらなければならないと思います。
支持者同士が雑談の中で、「今年の弁当は去年のものより高級だった」という類のレベルの話をしているようでは支持する政治家は育ちませんし、政治そのものも良くならないでしょう。




3つ目に考えたいのは、マスメディアについてです。
今回の女性大臣の辞任劇について、メディアはどのような報道をしたでしょうか。


内容は、「脇が甘かった」「後援会の会計業務は人任せ」「安倍内閣にどのような影響が出てくるか」などが主で、論評のみの報道であり、「なぜこのような事態が発生したか」「再発を防止するためにはどのような手立てが必要か」といった本質を突いた議論はありませんでした。




最後に、有権者の意識が「政治ボケ」とでもいうべき、呆けた状態にあるのではないでしょうか。


「政治を良くしたい」という思いは誰にでもあるでしょう。
であれば、我々の代務者である先生方を次の選挙で選ぶ際、単に知名度の高さで判断するのでなく、「国政にどのような貢献をしたか」「どのような政治信条を持っているか」「カネに対しての感覚が麻痺していないか」といった切り口で候補者を選ぶべきだと思うのです。




有権者も後援会も政治家自身も、思い切った「意識革新」をする必要があるのではないでしょうか。


ある識者によれば、「革新」とは、単に古いものを捨ててしまう「革命」ではなく、いままであったものに新しいものを加えることで価値を高める、ということです。


このような意味で有権者・後援会・政治家たちに「革新」をしていってもらいたいと思うのです。