2014年11月22日土曜日

61:目的と手段 / 日中首脳会談について

人間の癖・傾向としてある行動を起こすときに、どうしても「手段」に短絡してしまうということがあるでしょう。


例えば、事務所でコピー機を購入しようという話になったとしましょう。
まず多くの人がするであろうことはカタログを集めるという「手段」であるでしょう。
「目的」を考えずに「手段」を考えることで適切にな成果が達成されるのであれば、「目的」について考える必要なないでしょう。


なぜ「手段」に短絡するのでしょうか。
それは、あまり頭を使わなくても済んでしまう、安易ではあるが、興味を満足させることができるものだからです。


このような発想が例えば「コピー機を買う」といった単純なことに使われるのはいいですが、「国の外交」といった、国民の生命や財産にかかわることに応用されるのは、たまったものではありません。
先日11月8日の報道では、日中首脳会談の話題でもちきりのようでした。
しかし、「懸案は棚上げ」なる報道も同時に見られるようです。


はたしてここに「目的」はあるのでしょうか。
これはまさに「手段の目的化」
首脳会談を開く、ということ自体が目的化しているように思えるのです。



中身についてくどく触れたくはありませんが、合意された四項目のうちの一つは「尖閣諸島など東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を見解を有していると認識」したというものです。
これは全く中身のないものではないでしょうか。


多数の中国漁船が日本近海に出没し、不法と思われる行為をしているにもかかわらず、なんとも暢気な外交姿勢なのでしょうか。




目的を設定した首脳会談であったなら、つまりアジアの安全・安定を維持するために両国にとって優先すべき具体的な懸案事項について、論議をし、合意するという「目的」があったならば、この会談はまず開かれることは期待できなかったでしょう。


日中首脳が会談したことが「外交の成功」であると思う人がいたら、これはとんだ思い違いであると断言できるでしょう。
安倍総理の目的は日中会談を実現させることだけであったなら、日本外交の「勝利」でしょう。
アジアを含む諸外国の反応が楽しみです……

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