2017年7月26日水曜日

268:政治に対する思考停止

7月21日(金)のインターネット上の時事通信の記事で、以下のような内容が掲載されていた。
「安倍首相、「待機組」処遇に苦慮――支持率急落で入閣辞退も」
具体的には、自民党衆院5回以上、参院3回以上の期を経た60名以上の議員が、「入閣待機組」として考えられている、というものだった。
これを目にして、いろいろと考えることがある。

いま、本質を読み取る力が国民に求められているのではないか。
上の例で言えば、各省の責任者である大臣の人選基準をどう考えるか、ということが本質であるはずだ。
ところがメディアは「議員経験」が大臣就任の主なる条件としか見ていない。
大臣としての資質や経験、信頼性、人間性などをメディアにはもっと考えてもらいたいと思う。

政治に対する思考停止と思われるような類似の記事がさまざまな場所で見られる。
我々も、ただ思考停止的に流し読みしてしまうのではなく、新しい見方でこれらを論評したい。
安倍内閣の改造まであと何日かと迫るなかで、主権者である国民がマスメディアの報道に対してあきらめてしまうことなく、国政に対する関心を持ち続けてほしいと願いたい。

2017年7月22日土曜日

267:軍事予算の平和利用

これまでのトランプ大統領の不規則な発言のなかで、世界の安全保障に大きな影響を及ぼすものが、軍事予算の増額についてのものである。
ヨーロッパ各国に対しても、対GNPで2%を達成するように圧力をかけているという。

憲法9条を持つ平和国家日本は過去70年来、国防予算はGNPの1%を超えないという不文律があった。
先の第二次世界大戦で世界に迷惑をかけ、また唯一の被爆を経験した国である日本は、敗戦後に奇跡的な復興を成し遂げた結果、戦争反対、つまり具体的には軍事予算を増やさない国となった。
世界の趨勢が軍事拡大にあるとはいえ、考えなしにそのような傾向に便乗することには慎重でいたい。
何か反対の声を上げる必要があるのではないだろうか。

そのように、安直な軍事拡大に抵抗することが、日本から発信する世界社会へのメッセージのひとつではないだろうか。
たとえば、軍事予算の一部を非軍事目的に転用する、というくらいの発想の転換を望みたい。

ちなみに、この軍事費の非軍事目的への活用の前例は、実は冒頭で触れた国である、アメリカにあった。
戦中・戦後を経験していない多くの日本人にとっては新しい知識かもしれないが、戦後の復興期に米国から日本に支出されたガリオア資金(Government Appropriation for Relief in Occupied Area Fund)・エロア資金(Economic Rehabilitation in Occupied Area Fund)というものがあった。
この膨大な基金を支出したアメリカの意図は、人道的なものであった一方で、政治的なものでもあった、とされるが、これらが日本の戦後の復興に多大な貢献をしたことは否定できない。
そしてこの両資金が、実は米国政府の国防省から支出されていたという事実は、非常に示唆に富んでいるのではないか。

このような発想が、今日の軍拡に歯止めをかけるものになり得ると思われるのだが、いかがだろうか。

2017年7月19日水曜日

266:知的リーダーシップ

朝日新聞の「キーワード」によると、リーダーシップとは、「大きな「絵」を描いて方向を示し、人々を巻き込んで実現する力」とある。

この問題について、私の関心から、ますます必要とされるリーダーシップの必須条件として、プロブレム・ソルビング(問題解決)能力を挙げたい。
これは、コンセプチュアル・スキルとも言われるもので、相手が誰でも、どこででも、どんな状況下でも、対応できる判断力のことである。

このPS(プロブレム・ソルビング)能力の中身を、下記のような設問によって説明したい。
① 何が問題で、どこからどのように手を付けるのか。
② 何のために、何を選ぶのか。
③ 実行計画(実施計画、アクションプラン)のどこが心配なのか。
④ 失敗の原因をどのように究明するのか。

①は具体的な課題を明確にし、優先順位を付ける能力、②は判断の理由や根拠づけが明確にできる能力、③は計画からのズレやリスクが想定でき、対策を講じられる能力、④は最小限の情報で、原因を想定し、検証できる能力である。

上記の能力を身につけることはもちろん容易でない。
しかし、強力なリーダーは、行動しながら考えるとよく言われる。
考えるということは、結論を出すということに他ならない。
くどいようであるが、初期出版の広辞苑によると、思考とは「問題や課題に出発し、結論を導く観念の過程」とある。
結論は、経験、知識による場合と、合理的な思考の結果による場合とがある。
短絡思考にならずに、プロセス思考を意識したい。

リーダーシップというと、漠然としたものとして捉えられがちであるが、以上のような合理的なPS能力がなければ、リーダーシップは成立しない。
プロセスを意識した、PS能力があればこそ、様々な場面で人々を巻き込んでいくことのできるリーダーシップが発揮される。

2017年7月12日水曜日

265:サイレント永田町(続)

国家として取り組まなければならない優先順位の高い課題は、実に多岐に渡る。
優先順位を判断する基準として、課題の重要度(ビジネスに例えて簡単に言えば、それが1億の案件なのか100億の案件なのかということ)、緊急度(期限が存在するのか、それはいつまでなのかということ)、拡大傾向(それを放っておくとどうなるのかということ)の3つの観点から考えなければならない。
そのように考えた上で、私は最も優先順位の高い事項は「教育」であると思う。

その背景は、タイムズ・ハイアー・エジュケーション2016-2017版によると、世界の大学ランキングで東大が39位、京大が91位という驚くべき結果があったということにある。
アジアの他の国を見てみると、シンガポール国立大24位、北京大29位、精華大35位、香港大43位、香港科技大49位と高いスコアを付けている。
「サイレント永田町」は、この実態に目を向けなけらばならないのではないか。

また、マスメディアが同様に「サイレント」であるようにも思う。
以上のようなランキングは、ニュースになり得るはずなのだが、大きく報道された記憶はない。

教育の改革なくして日本の未来はない。

視点をより広げれば、世界社会で活躍できる日本人は、現在の教育ではまず生まれないであろう。
例えば具体的には、小学校低学年に英語を教えることのマイナス面を考えたい。
小学校教員の中に、相手の目を見て英語で話せる人物が何人いるだろうか?

2017年7月5日水曜日

264:サイレント永田町

日本は現在、様々な問題を抱えている。

北朝鮮のミサイルが日本海側にある原子力発電所をターゲットにする可能性が、ゼロと言えるだろうか。
尖閣諸島で日中の武力衝突が発生した場合、トランプ米大統領は海兵隊を派遣し、犠牲者を出してまで日本を守ってくれるだろうか。
中国の大企業が日本に工場進出した場合、地域社会はどう対応するのか。
身近なところでは、小学校の英語教師の再教育をどうするのか。
議員スキャンダル、財政破綻、経済の停滞、教育改革etc…。

このような諸問題について、永田町が「では日本はどうするか」というメッセージを発しているとは、とても思えない。
マスコミについても同様だろう。
BSのあるチャンネルで「プライム・ニュース」という番組があり、これは幅広い問題を扱った質の高い番組だと好印象を持っていたが、この番組でも最近は「評論」の方向へ傾いている感もある。

繰り返しになるが、「では日本はどうするか」という問いなくして、問題の解決や状況の改善を望むことはできない。
現在の政治は、お笑い的に言えば、国運を左右するような課題に対して、「サイレント永田町」とでも言えばよいだろうか。

2017年7月1日土曜日

263:選挙って何?

東京都議選を控えて、有権者としてひとこと言わねばならないだろう。

現在、多くの日本人が政治や選挙に対してあまり関心を持たない。
しかし一方で、今日の閉塞状況を何とかしたいという人も多いだろう。

日本人が持つ問題意識を政治が取り上げ、具体的な政策をつくり、国会に諮り、現状打破のために世の中を一歩進ませるというのが本来の姿だろう。
もちろん現状は、このようなあるべき姿からほど遠い。

選挙というのは、複数の候補者の中から、個々の日本人が自分の代弁者として議員を選び、社会という組織の運営を任せる、ということであろう。
その基本的な機能がはたらいていない原因を、真摯に考える必要がある。

選挙は、複数の候補から選ぶことであると書いたが、選ぶに際して、当然ながら、候補者(選択肢)に関する情報がなければ適切に行うことはできない。

7月2日の投票日に先立ち、都民に対する選挙公報が私の家のポストに投函されたのが、選挙6日前の6月26日のことであった。
様々な個々のマニフェストめいたものは大々的に印刷されていたが、しかし、各候補がどのような実績を持ち、何を目標として都政を行うのか、ということがそこでは明確に書かれていなかった。
さらに言えば、政治家としての信条をそこから読み取ることはまったくできなかった。
書かれていたスローガンは、例えば「結果を出す」「すぐ動く。新しい東京、目黒から」。
すこし情けない気持ちになりはしないだろうか。

これに追い打ちをかけるように、先日ある候補事務所から電話がかかってきた。
「○○候補に一票を入れてください」と言うので、「その根拠は何か」と問うと、「他党に先駆けて議員報酬を20%削減しました」と応えた。
「あなたの党だけでそれを実現したのか」とさらに訊くと、「そうです」と言う(民主主義の議会でそんなことがあり得るだろうか?)。
「ではところで、それによって議員報酬はいくらからいくらになったのか」と問うと、「不勉強で、知りません」とのことだった。

以下簡略に記すが、他にも

「世帯年収760万円未満までの私立高校無償化を行いました」
「該当する世帯数はどのくらいあるのか」
「分かりません」

「それによって都が負担する総額はいくらになったのか」
「分かりません」

だらだらと書いたが、選挙運動の実態はこんなものである。

これは国政の話だが、ひと昔前にあった立ち合い演説会はなくなり、テレビでの政見発表もまったく影が薄くなってしまった。
「民意を反映する」と二言目には言う議員の方々には、民主主義の制度に関する日本人の無関心について、真剣に考えてほしい。
くれぐれも、有識者を集め、委員会をつくることにばかり終始するようなことは辞めていただきたいのだ。