2017年10月25日水曜日

284:日本人の寛大さとスキャンダル

現在の日本の政治を真面目に考えようとすると、頭がおかしくなってしまうのではないかとも思うが、今回は国会議員のことについて少し書いてみたいと思う。

日本人は国民性として、寛大なところがある。
これは美徳であって、個人的には世界社会に発信できる立派なものであるとまずは思う。

しかし、現在見られるような、国政を与る国会議員の言動に対しての過度の寛大さはいかがなものかと思う。

最近の公明党所属の議員で樋口尚也氏、前衆議院議員、前文部省政務官、当選2回が党を離党し、議員を辞職したというニュースがあった。
また、同じ公明党の長沢広明氏、元復興大臣も、スキャンダルで離党、議員辞職をしたという。
私は特段公明党の支持者でもないのだが、しかしこれについては最近ない快挙であると思う。

このような前例があるのだから、与党の自民党も、見習うべきではないだろうか。

2017年10月21日土曜日

283:投票の義務と権利

総選挙が告示された。
このことについて、やはりどうしても何か考えてしまう。

誰を選ぶか、どの党を選ぶか以前のところに考えるべき重大な問題がそもそもあるように思う。
それは、投票するという行為は、有権者としての義務なのか、それとも権利なのかということだ。

このことを友人に聞いたところ、「四の五の言わずに投票すればいいんだ」と返ってきた。
それはもちろんその通りなのかもしれないが、民主主義が機能するためには、投票という行為が義務なのか権利なのかという本質を認識する必要もあるように思う。

もし義務であるならば、それを放棄すれば問題となる。
例えば納税は義務であり、これを放棄すれば処分を受けることになる。

これに関して、様々な意見や考え方があるだろうし、そのような議論はなされるべきである。
とはいえ、少なくとも私は、選挙は権利であると考える。

つまり、有権者から見て、国政を任せるに値する候補者がいなければ、投票をしないという方法もあるのである。
投票の放棄も、これもまたひとつの与えられた権利であると思うのだ。

私は今回は、権利としての投票を放棄するか、白票を入れることにしようかと考えている。
なぜなら、どうしても現在、国政を任せるに足る人物はいるようには思われないし、いたとしてもそのように判断できる情報が十分に開示されていないように思う。
(候補者の経歴に関しての情報はあふれているが、その政治信条に関する情報は見られない。)

現行憲法が設置されて以来、一度も改正されていないのと同様に、現行の選挙法も社会の実態にあった改定がされていないところに問題がありそうだ。

米国をはじめ、ヨーロッパ各地でも、必ずしも民意を反映したとは信じがたい結果が投票によって出されている。
民主主義そのものの実態にあった何らかの修正がここにきて求められているのかもしれない。

2017年10月17日火曜日

282:国会議員の資格

本年9月28日号の週刊文集に、「野田聖子 夫は元暴力団員」なるタイトルの記事が掲載されていた。
与党の重鎮にこのような記事が出たことに、まずは驚いた。
世界社会に対してまことに情けない思いをしたが、これが政治の実態なのだろうか。
小見出しを並べて書くと、「デート商法で業務停止命令」「出会い系迷惑メール送信で摘発」「知人に「会津小鉄やってん」」「私は精一杯夫を守ります」とある。
一国の総理候補とも言われる人物がこのような中傷記事(?)を書かれたのだから、当然名誉棄損で文芸春秋社を告訴するかと思ったが、そのようなニュースはない。
また、自民党からもコメントもなければ釈明もない。

私は元々保守系の考えを持っているが、与党自民党の体質がこのようであることに問題意識を持ち、有権者として、他に代替する政党がいないという現実を考えると頭が痛い。

例えば国会議員の資格として、次のような項目が必要なのではないか。
①国家にとっての重要案件を最優先に取り組める判断力と行動力
②国民の誇りを回復し、尊厳のある国家を創ろうとする意識
③信念・理念・自己犠牲の心を持つ
④人間としての尊厳を持ち、恥ずかしくない行動を心掛けるこのような条件に当てはまる立派な人物を国会に送りたいものである。

2017年10月7日土曜日

281:Peace Power

近年、従来のハードパワーに対し、ソフトパワーという概念がハーヴァード大のジョセフ・ナイ教授によって提出され、大きな反響を呼んだ。
関連して、他にもスマートパワーなる言葉が出たようにも記憶している。
これら「○○パワー」ということに関して、私は「ピースパワー(Peace Power)」ということについて述べたい。

これは、7月22日の記事で述べた「軍事費の平和的利用」の延長線上にあることでもある。
昨今の北朝鮮情勢に影響を受け、日本でも軍事費の拡大をよしとする議論になりつつある。
これは、ミリタリーパワー(Military Power)への税金の投入であるのだが、北朝鮮がああいった状態である以上、致し方ないと思われるひとも少なくないようだ。
しかしもしこれを是とするならば、ミリタリーパワーとのバランスをとるために、軍事の拡大だけではなく、平和国家である日本は、ピースパワーという概念を持ち出してもよいのではないだろうか。

私の現在考えるピースパワーとは、対立や紛争が殺戮となる一歩手前で踏みとどまる諸方策(予防対策)や、不幸にして殺戮状態に突入した際の早期収束策(発生時対策)を、人類の叡智と最新の先端技術を駆使して創出することを目指すというものである。

繰り返しになるが、憲法9条を持った日本は、このようなピースパワーを発信していくことが非常に重要であるように思われる。
その具体的な展開方法については、またの機会に述べることにしたい。

2017年10月4日水曜日

280:仁義礼智信

ある中国人の友人がきっかけで、孔子の教えの中心となる「仁義礼智信」の「五常」という有名な文言の存在を知った。
興味が湧いた私はこの五常の意味について調べたり、またそのなかで日本に「社団法人世界孔子教会」なるものがあることなどを知った。


さて、この友人に以前、この仁義礼智信の精神が中国できちんと伝承されているとはあまり思えない、とふっかけてみた。
すると、文化大革命の時代、毛沢東が「孔子の教えは封建的だ」と言いこれを廃したという事実があり、これが原因なのではないか、との説明を受けた。

ちなみにこの文言は、Wikipediaによれば、
・仁=人を思いやること。
・義=利欲にとらわれず、なすべきことをすること。
・礼=「仁」を具体的な行動として表したもの。
・智=道理をよく知りえている人。
・信=友情にあつく、言明をたがえないこと。

ということであるそうだ。

中国の長い文化・歴史のなかには、このような素晴らしい教えのDNAが存在しているはずである。
これらは、立派に世界社会で通用する哲学と言っても過言ではない。
国際秩序の再編成が進行している今日、このような立派な哲学を持つ中国が、その役割を果たすことを大いに期待したいと願うことは筋違いであろうか。
加えて言えば、東洋が西洋に発信する知恵はもちろん、これ以外にも多くあることだろうと思う。