2015年9月30日水曜日

139:グローバル人材

以前にも述べたが、国際社会で活躍できる日本からの人材の養成が急務であるにもかかわらず、この分野で目立った進捗はあまり見られない。
そこで、もう一度「グローバル人材」ということについて述べてみることにする。


国際社会での実績が認められた日本人として、古くは珍田捨巳を挙げてみたい。
珍田伯爵は、知る人ぞ知る、日本を代表する外交官であった。
一流の外交官として様々なポストを歴任したが、特に第一次世界大戦後のパリ講和条約における珍田は、当時のウィルソン米大統領や、ロイド・ジョージ英首相、クレマンソー仏首相らの厚い信任を得ていたということだ。
その背景には、自身の主張を持ち、それを貫き説得できるという力を有していたことがあるだろう。


また、新渡戸稲造の国連事務次長時代の活躍については多くを語る必要はないだろうが、私が感銘を受けた案件のひとつは、フィンランドとスウェーデンのオーランド諸島における領土問題の解決を図ったことであった。
この解決の見事な点は、これをフィンランドの帰属にさせつつ、スウェーデン系の住民が多いことを考慮し、諸島に自治権を認めた。


このように、日本には世界社会が認める人物が存在したことを我々は忘れてはならないだろう。
しかし、グローバル人材に関して、限られた紙面で論ずることは難しい。
もう少し具体的な話として、ここでひとつのヒントとして言ってみたいのは、世界で活躍するアスリートたちについてである。
例えば、世界ラグビー選手権で強豪南アを日本が破るという大金星が最近達成されたことが思い出されるが、この日本チームはまさに「ボーダーレス」なチームであった。
これはラグビーに限らず、サッカーなど他の競技でもある程度同じだろう。


言いたいのは、人種や国籍などの「ボーダー」など関係ないということだ。
このような現象が政治・経済の分野に広がり、「ボーダーレス」の考え方の中に「グローバル人材」があるのだ、という認識が共有されれば良いと思う。


最後に私の経験談をひとつ。
一昔前に、ある大企業の幹部が、テキサスに建設される工場の責任者としてアメリカに発つということで私のところにあいさつに来た。
ちなみに、当時は「グローバル人材」ではなく「国際人」という用語が用いられていたものだった。
私の彼へのアドバイスは、目標として「テキサス州の知事と会うことのできるような人脈をつくれ」というものだった。
彼は2年をかけ、見事これを達成した。


脱線が続いてしまったが、「グローバル人材」の重要な要件のひとつは、相手が誰であれ、初対面から相手と深いコミュニケーションを図り、信頼関係を構築できるということではないかと思う。

2015年9月26日土曜日

138:クリエイティビティ

優秀な頭脳集団である日本が、世界に認められる優秀な製品を出していない分野がふたつある。
これらはいずれも、ソフトウェアの分野である。


OS関連の製品がまずひとつ。
マイクロソフト・オラクル・SAPに匹敵するような技術は日本には存在しない。
むしろ日本企業は自社のシステムを設計する際、これらの企業のソフトウェアを使わなければならないのだ。


金融商品がふたつめである。
ウォールストリートなどから発信される金融派生商品は数多くあるが、日本からは出ていない。


これはなぜなのだろうか?
よく言われることかもしれないが、これは、日本人の「創造性」(Creativity)の開発が進んでいないということであろう。


そもそも、「創造性」にはふたつの側面があるのではないか。
ひとつは、天才的なひらめきのこと。
「降ってくる」などと言われているように、発想が理屈なしに出てくることである。
こちらが世間での「創造性」のイメージに近いのかもしれない。


しかし、もうひとつあるだろう。
論理的な、ロジカルな発想の積み上げによって何かを生み出すことがそれである。


天才を教育によってつくることはできないだろう。
しかし、論理的な人間を教育によって開発することはできるはずである。
欧米をはじめとする海外の企業がOSや金融派生商品を生み出した背景には、ロジックによるアプローチがあると言える。


日本での「創造性」による新しい技術や製品の開発は世界を圧倒してきた。
この「創造性」は主に、実際に存在するものに対して、実験を積み重ねることで構築されてきたのではないだろうか。
これが我が国の製造業の強みであった。


ハードウェア産業からソフトウェア産業になった途端、日本の創造的技術力が機能しなくなったとは言えないだろうか。
研究室で行う実験を、頭の中で知的に、論理的に展開するアプローチ(「創造性」)の開発ができていなかったからではないかと思う。


例えば、大型コンピュータの処理速度を現在の10倍にするという高い水準の目標を立てたとしよう。
この目標に対して、どのような思考上のアプローチがあるだろうか。
①まず、この目標を達成する上で重要となる複数の領域を明確にする。
②それらの領域で達成が困難な項目を複数挙げる。
③達成できない背景となる要因を明確にする。
④その要因を取り除くためにはどのような技術が必要か判断し、それを開発する。
⑤要因を取り除くための方策が非現実的なものであるならば、副次的な代替方策を開発する。


このようなシステマティックな発想が製造現場における実験に該当するのではないかと思う。
「創造性」を開発する・発揮するということは、より高い目標を達成するための阻害要因をどのように克服するか、という関係者の考え方のベクトルを重点的に合わせるということだ。

2015年9月23日水曜日

137:就職とJob

就職というのは、どこかの組織に入り、生計を立てるということであろう。
ところが、日本的経営の利点と言われてきた終身雇用と年功序列が恐ろしい勢いで崩壊しているのが現状だ。


にもかかわらず、多くの学生が就活に多大なエネルギーを費やしていることに疑問を持つ。
これからの「就職」の概念は、組織に終生所属することよりも、自分の能力が発揮できる「Job」を見出すことがその本質ではないだろうか。
その組織が日本の大企業であれ、国際機関であれ、外資系であれ、自営業であれ、NGOであれかまわないのである。


では、「Job」をどう考えたら良いか。
この言葉の英語による定義は"a piece of work"であり、そして"work"の意味は"perform its function"あるいは"to produce results or exert influence"である。
これを意訳すれば、「所属する組織の中で自分がなすべき事柄に対し、成果を生み出し相手に影響を与える」ということになるだろう。


また、典型的な日本組織の人事部の機能が変化しつつあることも認識したい。
極論をすれば、採用の権限は人事部ではなく、ある事業に責任を持つ事業部長となる時代が来る可能性があるだろう。
なぜならば、採用しようとするポジションの詳細なjob descriptionを書き、候補者を適切に選ぶことができるのは事業部長であるからだ。


そうなると、人事部の機能は、会社全体の給与体系や、社員の福祉計画といった組織全体に関わる包括的な業務となるのではないかと思う。

2015年9月19日土曜日

136:国際連合

私は国際関係についての学問的素人であるため、発言する資格はないかもしれないが、国連の総会における各国の一票の重みについて考えてしまう。
現在の国連加盟国193か国の人口に大きな差があるということから、国連総会の機能とはいったい何なのだろうと考え込んでしまう。


国連加盟国の中の人口格差がかなり顕著であることは否めない。
加盟国はその人口に関わらず総会で一票を持っている。
少し調べてみると、例えばオセアニアにあるツバルという国は、2013年の世界銀行の統計によれば、人口がわずか9,900人ということである。



人口の大小に関わらず、主権国家であれば加盟の資格があることから、このような国も堂々と総会での一票を持つことになるのだろう。
これを批判し、否定するつもりは毛頭ないが、民主的な運営がなされている国連のあり方について、素朴な疑問を持ってしまう。


安全保障理事会の常任理事国は米英仏露中の5か国であり、日本の常任理事国入りが実現しない背景には、各国の利害関係、あるいは第二次世界大戦の主要戦勝国で占められているということもあるが、国際社会の安定性を担保するためには、当然ドイツや日本が加わることが自然であると私は思う。


ドイツはEUの重要国であり、日本は憲法9条を持つ平和国家としての実績から考えても、世界社会がこれを理解すると思える。



常任理事国入りの条件は何なのだろう。
国際社会に対する大分な役割を日本は果たしてきた。
それは例えばODEや国連に対する拠出金という形であった。
これらに加えて、国際社会に対して、日本の貢献という存在感を表すためにどうしたら良いのか。
それは、ひとことで言えば、日本ならではと思われる独自の理念を確立し効果的に伝達することではなかろうか。
例えば、平和憲法を持つ我が国の理念の根源を「Peace Power」とするということだ。

2015年9月16日水曜日

135:世界競争力ランキング(IMD)と日本の思考資源開発

スイスの国際経営開発研究所(IMD)が毎年5月に発表する世界競争力ランキングにおいて、2015年の我が国の評価は27位というものであり、世界の工業先進国として依然低迷しているようである。
この組織のランキングに一喜一憂する必要はないかもしれないが、無視することもできない。


このランキングの根拠は、マクロ経済(経済成長、政府の効率性(Efficiency)、企業の効率性(Efficiency)、インフラ)の4つの切り口からの分析である。
関心のある方はネットで調べていただきたいのだが、詳細を見ると、経済成長が29位、政府の効率性が42位、企業の効率性が25位、インフラが13位ということだった。


私はここ十数年、特に政府の効率性と企業の効率性がどのように改善されるか見守ってきた。
しかし残念ながら、ほとんど改善はされてこなかった。


ご存知の方も多いと思うが、1980年代後半から90年前半は1位であったことを考えると、政府の効率性42位ということに関して、何らかの対策を考えなければならないことは自明である。


政府の効率性が先進国の中で極端に低いという現実の背景には何があるのか。
戦後の経済成長の歴史を考えると、1980年代に発生した米国との貿易摩擦までの期間と、それ以降を比較する必要があるだろう。
例えば、1981年からはじまる日本の対米自動車輸出の自主規制では、ピークの84年では185万台に規制された。


この時期までは、日本は欧米の経営モデルや問題解決へのアプローチ法を手本とし、これを踏襲すればよかった。
しかし、この対米貿易摩擦を機に、日本は様々な状況において主体的に意思決定をしなければならない立場にはじめて立ったのではないか。


主体的・自主的に意思決定をするということは、経験や過去の数字の分析以外に、意思決定をするための論理的な思考の枠組みが必要になる。
つまり、トライ・アンド・エラーが許されない時代になったということだ。


この中で、どのように改革を図っていけば良いのだろうか。
「効率化」をしなければならない中で、私が思うに、重要なことのひとつは、知識偏重教育の抜本的な改革である。
たびたび述べていることかもしれないが、英語のintelligence、中国語の「智力」(変化に対して迅速に、適切に対応できる能力)を国としてどのように強化するのかという大テーマがある。


アジアにおいて我が国よりもランクが高い国が、どうしてそのような高い意思決定の効率性を獲得できたのだろうか。
私の考えでは、国の高官になる人物を欧米に留学させ、彼らが論理的な思考様式を身に付けて帰国することによって、政府の意思決定に対するアプローチが効率的になっているのだ。


このテーマを言い換えれば、日本人の優秀な頭脳という思考資源の開発をどのように展開するか、ということになってくるだろう。
国や企業組織の効率性を高めるための国家プロジェクトが発足しない限り、この問題は長期に日本の国際競争力へのマイナスとなっていくに違いない。


このことは、国際社会でのネゴシエーションにおいて、議論が噛み合わないことにも関連してくるだろう。

2015年9月12日土曜日

134:「真面目」ということについて

私は以前、「真面目」という観点から人間を4つの種類に分けて考えてみたことがある。
そのことについて、今回は少し書きたい。


人間は次のように分類されるのではないだろうか。


まず、「一見真面目で本質も真面目」。
このような仁徳者は、学者などになってもらうのが良いだろう。


「一見不真面目で本質も不真面目」。
これはちょっとどうしようもない。


上のふたつはともかく、ここからが大事である。


「一見真面目で本質不真面目」。
実は最も質が悪いのはこの種の人間である。
いま日本にはこのような人種が多すぎるのではないだろうか。
オリンピックのシンボルマークのデザイナーもまた、この種の人間のように思われる。


「一見不真面目で本質真面目」。
私が最も力点を置きたいのはこの人種である。
上のようによろしくない状況にあると思われる日本を、ダイナミックに動かしうるのはこういった人々ではないか。


おおざっぱな分析ではあるが、「真面目」ということについて考えてみた次第。
みなさんはどのように考えるだろうか。


本来ならば、これからの社会においての「真面目」という言葉の定義からはじめなければらないところなのだろうが、そこはみなさんに考えていただきたい。

2015年9月9日水曜日

133:日本らしさとは

夏で暑いので、短めの記事ですがご容赦ください。


「日本らしさ」に類するような言葉はよく耳にされる。
最近目立つものと言えば、「日本食」「アニメ」「漫画」といったものだろう。


しかし、これだけで良いのだろうか?


こういったものも良いが、例えば勤勉さ、努力、良識、誇り、尊敬心、礼儀、独立心、開拓者精神、正直さ、真面目さ、責任感……といったものが「日本らしさ」の中身であってほしいと思う。


こういった要素がなければ日本が内部から真に良くなっていくことはないのではないか、と思うし、また、日本がこういった美徳を身に付けてはじめて、世界に向かって「日本らしさ」をきちんと発信することができるのではないか、と思う。

2015年9月2日水曜日

132:「失脚」ということについて

最近、ほとんど死語となってしまった日本語に「失脚」がある。
広辞苑の定義によれば「立場を失うこと。要路の地位を失うこと。」とある。


先日、「村上ファンド」の経営者であった村上氏についての報道がなされた。


刑事責任を問われ、執行猶予付きではあったにせよ、経済犯としての有罪判決が出た人物。
この人物が経済界に復帰したということが堂々と報じられた。


私はこのことに疑問を持つ。
犯罪者が堂々と経済界に復帰をするということが許される社会で良いのだろうか。


先進経済国として、これはどうなのかと思う。


この村上氏は、東大法科卒で、通産官僚だった人物である。
村上氏個人に対して恨みはないが、国の税金で教育を受けた人間は、それなりの自覚を持って各界で活躍してもらいたいものだと思う。