2015年9月12日土曜日

134:「真面目」ということについて

私は以前、「真面目」という観点から人間を4つの種類に分けて考えてみたことがある。
そのことについて、今回は少し書きたい。


人間は次のように分類されるのではないだろうか。


まず、「一見真面目で本質も真面目」。
このような仁徳者は、学者などになってもらうのが良いだろう。


「一見不真面目で本質も不真面目」。
これはちょっとどうしようもない。


上のふたつはともかく、ここからが大事である。


「一見真面目で本質不真面目」。
実は最も質が悪いのはこの種の人間である。
いま日本にはこのような人種が多すぎるのではないだろうか。
オリンピックのシンボルマークのデザイナーもまた、この種の人間のように思われる。


「一見不真面目で本質真面目」。
私が最も力点を置きたいのはこの人種である。
上のようによろしくない状況にあると思われる日本を、ダイナミックに動かしうるのはこういった人々ではないか。


おおざっぱな分析ではあるが、「真面目」ということについて考えてみた次第。
みなさんはどのように考えるだろうか。


本来ならば、これからの社会においての「真面目」という言葉の定義からはじめなければらないところなのだろうが、そこはみなさんに考えていただきたい。

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