2015年7月29日水曜日

124:国防費は「経費」か「投資」か

118号「新しい防衛費の使途」で発信した考え方の延長にあることを、今回は書きたい。




中国は例外的な傾向を見せているが、先進諸国の軍事費の増減はおおよそ横這いの傾向にあると言っても良いだろう。
本年7月7日のUSA Todayによれば、米陸軍は4万人の要員を削減し、最大で57万人規模であったところを、2017年までに45万人まで削減するということだ。
新しい戦争の形態を迎えた今日、地球規模の関心事として、GDPに対する国防予算の比率をどれくらいにするのが最適かという議論もされているように思う。


ところで世界社会は、日本の国防費をどう見ているのだろうか。
参議院で審議されることになる安保法制の改定の可否が、我が国の安全保障に重要な影響を及ぼすことは言うまでもない。


しかし、この議論を未来志向として全く別の次元で発想してみることも必要ではないか。
それは、国防費を国の「経費」として位置付けてきた今日までの発想のイノベーションができないかということだ。
ここでイノベーションを定義するならば、「革命(Revolution)」とは異なり、積み上げてきた現実に新しい要素を加えて高次元のものを創出するということである。


この国防費を「経費」から「投資」として考えることがひとつのイノベーションになるのではないかと思う。
「投資」であれば、当然「配当」を生まなければならない。
この「配当」が何であるかについて、国民的な、そしてグローバルな討論がなされるならば、新しい次元の国防の概念につながるのではないかと思う。


ここでの「配当」とは、あらゆる対立が戦争状態にならないようmanageされている状態のことだ、と私個人は考える。
従って、外交関係というのは、友好的であるに越したことはないが、緊張の連続でもあるという認識も必要かもしれない。
作為的に友好関係を確立する必要が必ずしもあるとはいえないのではないか。


これについてはまた別の機会に触れたい。

2015年7月25日土曜日

123:無条件で還ってきた沖縄

沖縄問題を論じるときに、避けて通れない視点が「どのような経緯を経て沖縄が日本に返還されたか」ということです。
沖縄における悲惨な日米の戦闘については、これを教訓としなければならないことは言うまでもないでしょう。
問題は、どのような目的・意図をもって悲惨な過去を語り継ぐか、ということではないでしょうか。


余談になりますが、1990年ごろはじめて沖縄を訪問した際、嘉手納空軍基地の滑走路の先端にあった学生運動家たちの見張り塔はすでに三階建の建物になっており、その最上階に土産店の女主人と会話をしたのでした。
その店主が言うには、彼女の母親が、本土からのメディアの取材が迷惑であると言っている、ということでした。
そのメディアは、「戦争の悲惨さを語り継がなければならない」という主張をしていたそうです。
しかし、彼女が取材を嫌がる理由と言うのが、立派なものでした。


①旧日本陸軍の沖縄県民に対するひどい扱いについて触れなければならないが、日本人である自分はそれをしたくはない。
②忘れよう、忘れようと思っていること、つまり家族から大きな犠牲が出たということを思い出すのは嫌だ。
③悲惨さだけを語っても、将来は明るくない。


私はいまでもこれらをよく覚えています。
特に3番目は印象的でした。
これは現在の私たちも考えなければならないことでしょう。


余談が長くなりましたが、本論に戻します。
世界の歴史の中で二国間の戦争の結果、戦勝国が相手の領土を自国のものとする例は枚挙に暇がないでしょう。
27年間に渡る米国の支配にあった沖縄が、最終的には無条件で返還され、現在は日本の領土となっている、というような例は、世界史の中でも例外的なものではないでしょうか。


このことを我々は、どのような教訓として生かすのかということが、現在問われていることのひとつではないかと思うのです。
この沖縄への処遇に対して、旧ソ連による北方領土の占領と、それに続く現状のことを考えてしまうのですが……。

2015年7月22日水曜日

122:知識の質問と智力の質問

前号の内容に、質問は3つの目的で分けて考えるとよいということを書きました。
その第二の目的に「判断業務に関わる情報を収集する」ということがありましたが、これはさらに、大きく2つの性格の質問に分けることができます。
今回はそのことについて少し書きたいと思います。


日本語の「知恵」にあたる中国語は「智力」だということを前に書きました。
この知力の定義は、ある案件に十分な知識がなくても問題解決ができる能力、と中国のある学者は定義しました。


知識にのみ頼って問題解決をしてきた人たちを、私はものごとを「こなす」達人と言います。
これに対して、十分な知識がなくても、自身の論理的な枠組みを駆使することにより、直面する問題がどんなものであっても結論を出すことのできる人たちを、ものごとを「捌く」達人であると言ってきました。


仕事を「こなす」ということは、自分の専門領域内であれば、効率よく達成できるでしょう。
ところがそこに新しい要素が入ると、自信を失うことになるかもしれません。


知識に頼る人は、ある問題事項に対して、「この成分は何か」「この設計はどうなっているか」などの内容(content)に関わる質問をしがちです。
これが彼らの知識に沿っていれば「こなす」ことができるでしょうが、専門外のことであれば対応するのは難しいでしょう。


対して、智力のある人は、ある問題事項に対して「これはあれと比べて何が違うのか」という質問を発します。
彼らは似たものと比較することで対象の特徴をつかんでいき、結論へと思考を絞り込んでいくことができます。
これを結論への過程(process)の質問と言うことが出来るでしょう。


このように、「判断業務に関わる情報を収集するための質問」にも大きく2種類あるということが言えるのではないでしょうか。

2015年7月18日土曜日

121:日本人の質問力

よく言われる笑い話に、国際会議の名議長の資格は、インド訛りの英語でベラベラとしゃべるインド人の発言を封じ、いかに日本人からの発言や質問を引き出すか……というものがあります。

日本人の英語会話力が、先進国の中で最も低いレベルにある理由については後に述べるとして、この件についてひとつ申し上げたいことは、英会話力の主要な部分は相手をしてしゃべらせる、ということです。
これは、状況にあった適切な質問ができるかということに関連してきます。


相手の話が理解できない場合は、「もう少しゆっくり話してくれ」「この単語の意味がわからない」「もっと単純な言葉で説明してくれ」「分からないので、言い直してくれ」などなどの質問をすることです。
また、それでもわからないのであれば筆談をすれば良いのです。


話がやや逸れたかもしれませんが、日本の社会は「非・質問社会」であるという特異性を認識する必要があるでしょう。
以前書いたことに重なりますが、日本ではどうしても「質問すること」が「責めること」と同じように考えられているきらいがあります。


ここで、質問の目的を考えると整理ができるでしょう。
乱暴かもしれませんが、質問の目的を3つに分けて考えてみます。
第一は、「誰が責任者なのか」「どうしてこんなことをしたんだ」などの「責任を問うこと」。
第二が重要で、それは「判断業務に関する情報を収集すること」。
これにはいくつかの下位区分が考えられるでしょう。「なぜそんなことが起きたのか(原因究明)」「なぜそれを選ぶのか(意思決定)」「なぜそんなことが起きるのか(リスク)」「なぜそこから手をつけるのか(優先順位)」といったものです。
第三は「社交上の人間関係を円滑にすること」。
「ご趣味は何ですか」「最近関心を持っていることはなんですか」などの質問がこれに当たるでしょう。
この際、政治・宗教の話は避けるべきだとされています。
私個人としては、これらの話も多いにすべきと考えますが、それでも、口論にならないよう気を付けることは大事でしょう。




上記の第一と第二の分類を意識することにより、質問力の向上につながるでしょう。
そして、情報収集のための質問には、経験と論理的な思考形態が不可欠と言えるでしょう。

2015年7月15日水曜日

120:新選挙権年齢の設定について

選挙権年齢が6月17日に参議院本会議で全会一致で可決されました。
この根拠についての十分な審議がなされなかったのは非常に残念なことです。
日本における過去の投票率が50%台で推移していることへの危機感があったのかもしれません。


ここで最も問題であるのは、なぜ投票率が低いかという原因の究明がほとんどされていないまま短絡的に法案が通過してしまったということです。
選挙権年齢が18歳になったからといって、投票率が向上するという保証はありません。


しばらく前に、民主党の岡田代表と蓮舫議員がある高校に招かれ、この件についてのパネルディスカッションを行うというテレビ番組を見る機会がありました。
男子生徒のひとりが、真剣なまなざしで次のような質問をしました。
「政治に参加できるという重みを新たに自覚しました。しかし、どのような基準で私たちの代表を選べば良いのでしょうか」
ところが、この質問に対し、適切な回答はなされませんでした。
岡田代表は、この単純明快な質問に対し、具体的な回答はせず、ある法案の審議についての詳細な説明をしたにすぎませんでした。
この現実を見て、私は大変な危機感を持ちました。


私は、この18歳の高校生の質問を、永田町の全議員にしたとき、どのような回答がされるのだろうと想像してしまいます。
あるいは、国会議員に「あなたの政治信条はなんですか」という質問をした場合、具体的に説得力をもって回答できる先生方が、果たしてどれくらいいるのだろうと考えてしまいます。


もし私が議員で、同じような質問をされたとすれば、次のような基本的な条件を18歳の彼に答えるのではないかと思います。
・国政を第一とし、自己犠牲を払ってでも、有権者と国のために仕事をする覚悟がある。
・あらゆる環境変化に対し、迅速に自身の意見を構築できる。
・選挙民から負託を受けた、という重大な意識を常に持ち、行動する。
・国際社会における日本の立場について、常に意識をしている。
・スキャンダラスな事態が発生した場合は即座に辞任する覚悟がある。
・社会から認められる人格の形成に努めている。
・きちんとした来歴と、確立した自身の専門分野を持つ。


これらは、必ずしも適切ではないかもしれませんが、国会議員を選ぶときに必要な発想ではないでしょうか。
新選挙権年齢の設定にあたって、こんなことを考えてしまいました。







2015年7月11日土曜日

119:日米関係についての素人の私見

国の安全を一国のみで担保することができないことは、我々の共通の認識でしょう。
従って、日本にとって日米の同盟関係がいかに重要であるかということを再認識したいものです。

また、日米間の歴史について、再認識することも必要かもしれません。
少し調べてみました。
2国間の関係のはじまりは、1856年に日米和親条約、1858年に日米修好通商条約、1894年に日米通商航海条約がそれぞれ調印されたことです。

少し時間を飛ばして、戦後の日米関係を語る時に、ふたりの米国人について述べる必要があるでしょう。
ひとりはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー、もうひとりは駐日米国大使マイク・マンスフィールドです。

マッカーサーは、1945年8月30日に厚木に上陸し、同年9月4日にミズリー艦上にて降伏文書(Statement of Surrender)に調印しました。
これに調印したのは米国・中国・英国・ソ連・カナダ・フランス・オランダ・ニュージーランドの8か国でした。

このマッカーサーの占領政策が寛大であったがために、奇跡的な戦後の復興が実現されたことについて、例えば当時の英国サッチャー首相も、日本の復興は日本人の努力のみでなく、米国の施策によるところも大きい、と来日時に語っていました。

マッカーサー自身も降伏文書調印時に、次のような演説をしています。
「この厳粛な式典を転機として、流血と殺戮の過去から、より良い世界、信頼と理解の上に立つ世界、人間の尊厳と自由、寛容、正義の完成を目指す世界が生まれることを私は心から切望する。

これは、多分に政治的な意図があったにせよ(また、この「正義」が誰の「正義」であるのか、という難しい問題があるものの)、日本に対する基本的な、好意的な姿勢を表したものと受け取って良いのではないでしょうか。
その結果、日本は上に述べたような復興を遂げることができたと言えると思うのです。

もうひとりのマンスフィールド大使に関して。
彼は12年間の在任期間に47都道府県をすべて訪問したと言われています。
彼は、日米間は世界で最も重要な二国間関係だとまで表明していたようです。
発言の当時では、この2国関係は西洋とアジアの関係として述べられたと思われますが、今日的に解釈すると、西洋文明圏と非西洋文明圏における最も重要な2国間関係だと解釈したいのです。

そうなると、日米関係をどのように「対等」に位置づけるかということが大きな課題になってくるでしょう。

現在、中国が日本を追い抜き、世界第二位の経済大国となっています。
また、国内で日米関係を日本の「追従」「追随」と捉えている人がいるという問題もあるでしょう。

では、このような状況で、どのように考えたら「対等」になるでしょうか。
「対等(equal)」は「量的なもの」「大きさ」「数量」「価値」「程度」において同等である、という定義があります。
一方で、権利・特権・能力(実行力)・地位において同等であるという定義も見られるようです。

そこで、重要なのは、日本にとっての「特権(privilege)」をどう考えるかということになるでしょう。

私は、この「特権」は、世界社会に対して、日本の特性を表した独特の貢献というprivilegeと考えたいのであります。

2015年7月8日水曜日

118:新しい防衛費の使途

以前発信した内容にもありましたが、日本の防衛パートナーの米国は1945年、つまり太平洋戦争終結時まで、現在の「国防省」の名称は「戦争省(Department of War)」でありました。
戦争省が持つ予算は、すべて敵国にいかに勝利するかということに使われていたのではないでしょうか。
極論すれば、効率よく敵を殲滅するための兵器・方法の開発やメンテナンスに使われていたということです。



このような防衛費に関する既成概念に、新しい次元の考え方を注入することが、平和国家に与えられた使命のひとつではないかと思うのです。
平和国家として、その基本にあった憲法9条の前半部分の精神を生かし、「国防」という概念に新しい側面を導入できれば、これは日本としての大きな主張となるのではないかと思うのです。


具体的には、毎会計年度の防衛費・国防費のごく一部を充当して平和建設のための基金とする動きを、日本がイニシアティブをとって主張していければ、と考えます。



翻ってみれば、第二次世界大戦収束後、急速に伸びた国連加盟国の多くは、旧宗主国より解放された旧植民地であるという認識を持つ必要があるでしょう。
つまり、いわゆる途上国と言われている国連加盟国が、主権を持ち、国としての尊厳(dignity)を持つ平和国家としてあらねばならないということです。
問題は、経済についてだけではないのです。
これら途上国が主権を持つ、自立した平和国家を建設することになれば、国際社会の安定に大きな影響を及ぼすことになると思うのです。

この発想を構築し、現実的なプランとして策定するには、世界的な規模での協力が必要となることでしょう。
真に平和を望む国家が、その国防費の一部を割いて、非武力による「国防」を外交努力とは別の次元で推進することは、平和国家日本から発信すべき内容に値するのではないかと考えます。















2015年7月1日水曜日

117:積極的平和主義と未来志向

6月25日、西室泰三日本郵政社長を座長として、第6回の21世紀構想懇談会が開かれたという報道がありました。
この懇談会も、第7回をもって終わると聞いています。
この会での議論を踏まえて、総理が自身の考えをまとめた談話を策定することになるでしょう。


私は一国民として、中国や韓国はもとより、米国が注視しているこの談話の内容が、積極的平和主義と未来志向を柱とした、これまでにない斬新な日本としての意思表明であってほしいと望むのです。
その内容は、平和国家の国民の総意として、真に世界の平和と安定に結びつく発想と、具体的な活動を示唆するものであってほしいのです。


平和憲法9条が、国際紛争の解決手段としての武力を放棄したのであれば、それに代わる方策を考える責務が日本にはあるのではないでしょうか。
これを私はPeace Powerと呼びたいのです。


この構想を真に平和を渇望する国家の賛同を得て、世界規模での平和実現への具体的な方策の策定につなげることができれば、日本が真に平和を望む国家であると国際社会で認識されることにつながるのではないでしょうか。


この具体策については近日中に発信したいと思います。
今回はここで失礼いたします。