2015年7月25日土曜日

123:無条件で還ってきた沖縄

沖縄問題を論じるときに、避けて通れない視点が「どのような経緯を経て沖縄が日本に返還されたか」ということです。
沖縄における悲惨な日米の戦闘については、これを教訓としなければならないことは言うまでもないでしょう。
問題は、どのような目的・意図をもって悲惨な過去を語り継ぐか、ということではないでしょうか。


余談になりますが、1990年ごろはじめて沖縄を訪問した際、嘉手納空軍基地の滑走路の先端にあった学生運動家たちの見張り塔はすでに三階建の建物になっており、その最上階に土産店の女主人と会話をしたのでした。
その店主が言うには、彼女の母親が、本土からのメディアの取材が迷惑であると言っている、ということでした。
そのメディアは、「戦争の悲惨さを語り継がなければならない」という主張をしていたそうです。
しかし、彼女が取材を嫌がる理由と言うのが、立派なものでした。


①旧日本陸軍の沖縄県民に対するひどい扱いについて触れなければならないが、日本人である自分はそれをしたくはない。
②忘れよう、忘れようと思っていること、つまり家族から大きな犠牲が出たということを思い出すのは嫌だ。
③悲惨さだけを語っても、将来は明るくない。


私はいまでもこれらをよく覚えています。
特に3番目は印象的でした。
これは現在の私たちも考えなければならないことでしょう。


余談が長くなりましたが、本論に戻します。
世界の歴史の中で二国間の戦争の結果、戦勝国が相手の領土を自国のものとする例は枚挙に暇がないでしょう。
27年間に渡る米国の支配にあった沖縄が、最終的には無条件で返還され、現在は日本の領土となっている、というような例は、世界史の中でも例外的なものではないでしょうか。


このことを我々は、どのような教訓として生かすのかということが、現在問われていることのひとつではないかと思うのです。
この沖縄への処遇に対して、旧ソ連による北方領土の占領と、それに続く現状のことを考えてしまうのですが……。

0 件のコメント:

コメントを投稿