2014年3月19日水曜日

17:G8とクリミア併合問題

外交問題の専門家でない者でも今回のロシアによるクリミア併合には疑問を持つことでしょう。
報道されているように、2月27日に親ロシア的新政権が発足し、3月1日にロシア上院がウクライナへの軍事投入に同意、そして同月16日にクリミアで住民投票が行われ、ロシアへの編入が決まり、18日にプーチン大統領により併合が宣言されました。


ところで、ロシアはG8(主要国首脳会議)のメンバーであるわけですが、この前身であるG7は、「先進主要国首脳会議」として1976年に始まりました。そして、1998年に「国民の平均所得が低いが大国」であるロシアが加わり、それによって名称が上記に変わりました。


隣接する独立国に軍隊を進駐させて住民投票を行うこと自体、良識ある主要国のbehaviorとしていかがなものかと思うのは私だけではないでしょう。この問題は少なくともわれわれ日本人にとって二つの問題を提起するのではないでしょうか。


ひとつは北方四島の返還問題です。日本国籍の住民がひとりもいないところで、今回のように住民投票を行えば、その帰属はロシアになってしまうことは自明でしょう。しかも、クリミアと違い、北方四島には日本の自衛隊が駐屯していません。このクリミア併合が前例となってしまい、北方領土問題に対して悪影響がないように、国と国民は問題意識を持ちたいものです。


ふたつめの問題は主要国であれ、先進国であれ、国際社会のリーダーを自負する良識あるべきメンバー国がcivilizeされていなければ、これらに参加する資格はないと思うのです。civilizeとは、Webstarによれば、''to bring out of a condition of savagery or barbarism''とあり、「獰猛な、あるいは野蛮な状態から抜け出させること」と解釈できるでしょう。
ロシアがどのような理屈をつけようが、今回のクリミア併合はcivilizedな国の行動として認められるものではない、と言っても過言ではないでしょう。国際社会は、この問題が武力闘争としてこれ以上発展しないように、ロシアがどのような振る舞いを見せるのかに今注目しているのです。

16:沖縄の問題をどうするの?

若い皆さんはご存じないと思いますが、普天間基地は1996年4月に、時の総理大臣の橋本龍太郎とモンデール駐日米国大使の間で5~7年以内に移転することが同意されました。
なんと、18年も前の案件なのです。戦後、日本国民は日米安全保障上の米軍への基地提供のほとんどを沖縄県に負担させてきました。
基地関係による雇用創出というメリットがあったにせよ、これは大変な沖縄県民に対しての負担となってきたことは間違いないですし、日本人はこのことを忘れてはならないのです。さらに、日米同盟が継続する必然性を考えると、これからも沖縄にお世話になることは自明です。
沖縄における米軍基地の存在は、最近の中国の海軍力の強化という点から見ても、日本の国益上、残念ながら不可欠と言わざるを得ません。どれだけ我が国が防衛力を強化しても一国だけで中国の脅威に対抗できるはずはありません。
この18年間、国内外で論議を呼んできたのですが、やっと移転の動きがはじまったようです。そこで、沖縄の皆さんにある程度納得できる形でこれからも日本の防衛に協力して頂ける方法はないものかと模索を続けています。
「またこの話がはじまったわ」という家内がこれに対してとんでもない解決策を言ってのけました。それは、沖縄県民に対してのいままでの感謝の念・これからも協力をお願いする・沖縄県の経済振興等を満足させる考えでありました。
実現性についてはクリアーするハードルがあるにしても、私は「なるほど」と思いました。それは、昨今問題になっている国の消費税に関することです。この際思い切って、沖縄県に対して消費税の免除あるいは軽減を実施するのはどうか、ということなのです。


沖縄にカジノを建設することが検討されているそうです。このような産業を沖縄の人たちがはたして望んでいるのでしょうか。
日本全体が沖縄に謝意を表し、負担をシェアする意志があるのであれば、消費税の柔軟な対応をもって理解を求めることが日本人的ではないでしょうか。


2014年3月18日火曜日

15:平和ってなに?

我が安倍総理は世界に向けて「積極的平和主義」を発信しています。いろいろと調べてみましたがこれに当てはまる英訳はどうやらないようです。
外国に発信する総理のメッセージが適切に伝わらない理由は日本語そのものの概念が確立されていないのが原因ではないでしょうか。
そもそも「平和主義」という日本語自体が日本的で世界に通用しない言葉なのかもしれません。なぜかというと、「平和主義」という英語そのものが存在しないからではないでしょうか。


一般には「戦争のない状態」、『広辞苑』(第五版)では①「やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと。」②「戦争がなくて世が安穏であること。」となります。
しかし、厄介なことには、あるヨーロッパの経営者はビジネスを「平和時における戦争の形態(''Peace time form of war'')」と表現しました。
人間は厄介な存在であって、競争心・闘争心を持っています。これを考慮に入れることなしに平和の定義をすることは難しいのではないでしょうか。


私なりの定義は、次のようになります。「紛争や対立が人命や財産に対する脅威なくマネージされている状態」。したがって、平和とは一種の緊張状態の連続と言えると思うのです。紛争・戦争が平和的に解決され、その状態が簡単に続くというような考えは幻想と言ったら言い過ぎでしょうか。
9条見直し・9条改定論が盛んな昨今ですが、平和を上のように考えれば、単に9条を持ち上げるだけでなく、「紛争を軍事的でなく平和的に解決するにはどのような方法論が必要なのだろう?」というような中身のある議論が出てこなくてはならないでしょう。


普段なんとなく使われてしまう言葉でも、一度立ち止まって、定義をきちんと考え、その言葉について丁寧に考え直すことが重要なのではないでしょうか。

14:政治と有権者の距離

ほとんどの日本人は大相撲の実況中継を見たことがあるでしょう。好取組が5時のニュースと重なるとほとんどの場合中継を優先し、ニュースは後回し。
国会中継はどうなのでしょう。これはたまたまかもしれませんが、衆議院の予算委員会の中継が11時57分で終了し、その後は他番組の紹介と天気予報。
あまりにも国会中継が軽視されていると思うのは私だけでしょうか。


ここには政治が有権者にとって「遠い」ものであるという問題があるように思います。
現在の日本では、選挙民と政治家の接点はほとんど選挙期間中のみにしかありません。これでは政治家と有権者の距離はひらいていくばかりでしょう。


別の形での二者の関わり合いを模索しなければならないと考えます。
私は、自分で選んだ代議士に意見書や質問書を出すことを提案したいです。


意見書には大きく親書と投書の二種類がありますが、前者の方がより好ましいでしょう。
投書には「権力に対する物言い」としての意味合いが強く、必ずしも返事は期待されないのに対して、親書であれば、社会的地位の高い者であるほど返信を行う義務を持つからです。
このようなかたちで有権者は政治家とのつながりを密なものにし、きちんと自分の選んだ代議士を監視し、ある意味ではその代議士を育てていくこと、これがいまの日本の政治に欠けていることではないかと私は思うのです。


政治をなんとかしようと思っておられる皆さんはどう思われますか?

2014年3月2日日曜日

13:東京電力に脱帽

1979年の大事故、米国スリーマイル島原発事故よりも人災的要素の多い福島第一原発事故は、日本人のリスクに対する発想の甘さを披露してしまいました。
その背景のひとつに、日本人固有の完全主義がマイナスに働いてしまったと思うのです。日本のエンジニア諸氏から批判をされることを覚悟で申し上げますが、これにはエンジニアの驕りが影響していると考えます。
エンジニアが複雑で高度な装置を建設するときには、まず完全な設計をします。そして、生産技術を高度なものにします。装置の建設も間違いのないものにします。そして試運転等をし、完成させます。そしてお偉いさんを呼んで豪華な式典をして顧客に引き渡して、そこでようやくおしまいです。
ところが、ここで彼はエンジニアとして耐えられない質問をしなければならないのです。それは自己矛盾になる質問であるので、日本人の多くは誰もしません。その質問とは、''What could go wrong?((完全を期して製造したけれども、)将来起こりうる潜在的な問題点を想定するとどうなるか?)''であります。リスクを起こりうる具体的な現象として想定すること、これを意識して考えたいものです。それによって、実際に問題が生じたときに予め設定された対策を打つことができ、影響の最小化が可能になるのです。


ところで、東京電力に脱帽。
今回の四十数年ぶりの都心の大雪で東京23区内で停電があったというニュースは皆無でした。仮にこのマグニチュードの気象現象が他国の大都市で起きたとしたら、大きな停電騒ぎになったのではないかと想定されます。この意味では、都民は東京電力の日頃の努力を評価しても良いのではないでしょうか。