そのコメントでは、日本人の発想法・思考法において、特に抽象化をする際に日本人は短絡を起こしやすいという指摘であった。
今回はこの抽象化ということについて書きたい。
学問的な定義に当たるかはわからないが、私なりに「抽象化」するということ――これは英語ではconceptualizeすることに当たると思われるのだが――を定義すると、次のようになる。
「つかみどころのない諸現象や複雑な因果関係が存在する問題の解決に混乱した際、その諸現象を、より高い次元から眺め、それらの諸本質を整理すること」
このようなものであると思う。
その代表例が、法律であり、ネットワークのシステム化などである。
ちなみにこのことは、conceptの構築とは全く別であることに注意したい。
つまり、日本語の表現では「商品のコンセプトを構想する」などという場合があるが、conceptualizeはこういったこととはまったく別の次元の発想なのだ。
日本が国際社会における役割を果たすために、英語以外にまだ学習する領域が多くある。
そのひとつが、この、ものごとを抽象化する能力であると思う。
抽象化された内容で考えている人と、発生しているさまざまな現象のみを注視する人とが会話をすると混乱し、感情問題になり、ソリューションが出てくることはない。
しばしば議論が噛み合わなくなってしまう背景のひとつには、このようなことがある。
しばしば議論が噛み合わなくなってしまう背景のひとつには、このようなことがある。
たとえて言えば、ある案件について素人と弁護士が同じ土俵で会話することは非常に難しい。
弁護士は案件にかかわる雑多な現象を、法律という枠組みのなかでまさしく抽象化しているためだ。
弁護士は案件にかかわる雑多な現象を、法律という枠組みのなかでまさしく抽象化しているためだ。
日本社会を発展させるために不可欠な条件のひとつとして、ますます複雑化し、高度化する内外の社会情勢のなかで、現実を踏まえて、それを抽象化する能力をどう養っていくかということが挙げられる。
これは別の表現をするならば、問題の本質・論点を明確に押さえることでもあるだろう。
これは別の表現をするならば、問題の本質・論点を明確に押さえることでもあるだろう。
この場合、ある状況に対して本質や論点は複数ある(つまり諸本質、諸論点である)という認識が必要になってくる。
また、この能力は、結論を出すための工程を明確に示すことのできる能力でもある。
繰り返しになるが、このような抽象化の能力なくして、日本人が国際社会でカンバセーションを展開することは難しいのではないか。
また、この能力は、結論を出すための工程を明確に示すことのできる能力でもある。
繰り返しになるが、このような抽象化の能力なくして、日本人が国際社会でカンバセーションを展開することは難しいのではないか。