2017年4月8日土曜日

250:解説と評論

日中のジャーナリスト会議を中心とした活動をするNPOが今年15周年を迎える。
数年前のシンポジウムにおいて、日本と中国のジャーナリストの相違について報告があり、なかなか興味深かった。

曰く、日本では中国と比較して、起きた現象を克明に、精緻に伝える傾向がある。
しかし一方で、その現象が発生した背景や原因についての言及、あるいは考えられる対応についてはあまり報道されない、という指摘があった。

このような指摘は、ある面で正しいと私は思う。
同じようなことが、トランプ大統領の前例を見ない判断や行動に対する日本メディアの報道に表れているのではないか。

それらの報道の内容は、極端に言えば、誰が、いつ、どこで、どのくらい、何をしたか、という事実確認、状況説明、それに対する論評に終始しているように思う。
これは特定のメディアに限った問題ではなく、新聞もテレビも同様である。

知的好奇心を満たすだけであれば、これだけの情報で十分だろう。
しかし、今国民が求めているのは、「では我が日本はどうするの?」という論議ではないだろうか。
単に情報のみを伝えるメディアや、情報収集と事実確認を行っています、という内閣や官庁の説明だけでは虚しいと思っているのではないだろうか。
少なくとも私はそうである。

国政を与る政治家が「評論家」にとどまってしまうことには憂慮したい。
「だから、日本はどうするのか?」という積極的な議論をしていただきたいのである。
そうなれば、国民と政治の距離が、少しは縮まることになるのではないだろうか。

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