2016年11月26日土曜日

228:コンセクェンス(Consequence)という概念

Consequenceの日本語訳は、辞書によれば、「①結果 ②(影響の)重要さ ③結論」という定義である。
ところが、ウェブスター英英辞典によるこの概念についてのより詳しい説明をみれば、異なった次元が見えてくる。
これを私なりに要約すれば、Consequenceとは、ある意思決定をし、行動を起こした場合に、将来起こり得る現象、と言える。
また、行動にかんする因果関係という見方もできるかもしれない。

いずれにしろ、環境変化が激しい状態で、成功裏にものごとに対応するためには、ある判断を実行した場合、どのような現象が起きるのかということについて、事前に想定することが要求される。
つまり、まさしくConsequenceを意識することが求められるのである。

このような概念や発想が、現代社会で欠落しているように思われるのだが、その背景を考え直してみる必要があるだろう。
問題が発生したときに「総力を結集して対応する」では、遅いのである。

私の米国人の友人がよく語ることに、「Unattended Consequenceに気を付けろ」というものがある。
これは発生し得る現象を先取りして対応するということについて、Unattendedな(自分が無防備な)起こり得る現象に対する注意も考えにいれなければならない、ということだ。
彼は、日本人の発想にはこうした概念が欠落していると指摘した。

これは何とかしなければならない。
世界社会の変化に伴い、ますますConsequenceへの対応の重要性が増してくるように思われるのである。

これは言い換えれば、「熟考した末の判断であれば、まず問題はおきないだろう」という過信に気を付けなければならない、ということでもある。
「問題は起こるはずがない」という発想から、「問題は起こり得る」への転換が必要である。

2016年11月19日土曜日

227:電通の長時間労働問題

ここ十数年、企業の不祥事が起きたとき、判で押したように経営陣がマスメディアの前で謝罪し、90°の角度でおじぎをする場面がよく見られる。
これは、日本特有の現象であるといっても過言ではない。

海外では不祥事に際して、マスメディアに対して多くの経営者が画一的に謝罪的な対応をするということは見られない。
この謝罪場面は、諸外国の人々に奇異な印象を与えると同時に、企業の経営トップの威信などを失わせることにもなるだろう。

ところで、電通の若い社員が、自ら命を絶つという悲しい事件が起き、同社の社員への過度な勤務時間外労働が問題になり、日本社会に大きな影響を与えている。
企業の社会的責任が問われるなか、雇用者である電通が、社会に対して正式なコメントを出していないということを、どのように考えたらよいのか。

検察の家宅捜査が入っているのに経営陣が迅速な対応をしていないことは、いかがなものだろう。
捜査がひと段落した時点で、なんらかの対応を期待したい。

米国でトヨタ自動車の不祥事に、豊田章男社長自ら対応したような例もある。
画一的な謝罪を求めたいわけではない。
とはいえ、影響力のある大きな企業だからといって、知らん顔を通してもよい、ということにはならないのではないだろうか。

2016年11月12日土曜日

226:まさかの米国次期大統領

米国市民でもない人間が、大統領選の結果について四の五の言う立場には本来ないだろう。
しかし、なぜトランプ候補が勝利したかについては、大きな懸案ということもあり、私見を披露したい。

公職についた経験もなく、マスメディアの支持もあれだけない中、僅差ではあるものの、45代米国大統領になるトランプ氏の勝因を私なりに分析すると、次のようになる。

それは、創業オーナー経営者としての、強靭な目標達成への意志と、それを達成してきた実績が背景にあるのではないだろうか、ということだ。
何があっても、何と言われようと、自身が過去に掲げた目標を達成してきた「めげない」経験があったからこそ、大統領にも成れたのではないか、と思う。
過去に破産をしようが、批判を受けようが、自身が立てた目標を達成してきた自信がトランプ候補にはあったのではないだろうか。

大統領として、トランプ氏がどのような政策や外交を展開するかはまったくの未知数あり、そういった中で、日本は主体的な、自主的な複数のシナリオを事前に策定しておくことが肝要と思う。
新大統領の外交方針が出た後、それに対応するのでは遅いだろう。
なぜなら、ワンマン創業経営者でもあるトランプ新大統領は、トップダウンで強引に意思決定をする傾向があると見ていいだろうからだ。

ところで、米国大統領選挙は、上院議員の選出もあり、また重要法案の賛否を問うものであることの認識があまりされていない。
大統領選出以外の側面もあることを認識したい。

世界で様々な変化が起きつつある。
英国のEU離脱、フィリピンのドゥテルテ大統領の発言問題、トランプ候補の勝利、次に何が起こるのだろうか?

2016年11月9日水曜日

225:ローカルな小噺とグローバルな小噺 その2

前回の「その1」での「子供の将来は政治家だ」というジョークは、ある場所で披露したことがあったので、そのときのことについて簡単に書きたいと思う。


あるパーティで、わたしは米国人の友人と談笑していた。
お互いたのしく酒を飲んでおり、やがてジョークの披露合戦のような会話になっていった。
そこで私は上の「悪ガキ」のジョークを披露しはじめた。
途中までいったところで、酔った頭で大変なことに気が付いた。


彼は政治家だったのである。


結局しどろもどろになりながら話をうやむやにしてしまい、その場で「落ち」を披露することはなかった。
しかし数年の後、彼に再開した際、ふとそのときのことについて、実はこういうことだったんだ、と「落ち」も含めて告白してみたのだった。
怒られるだろうか、という思いもあったが、彼はむしろ笑いながら「どうしてその時に最後の落ちまで堂々と言わなかったんだ!」と予想外の文句までつけてくるのだった。


政治家にこれくらいのゆとりがあるというのは意外にも大事なことかもしれない。
もしこの相手が日本人の政治家だったら、上のような反応は期待できないだろう。
日本人の政治家にも、ゆとりと機転を持っていただきたいものだ。

2016年11月2日水曜日

224:ローカルな小噺とグローバルな小噺 その1

どの社会においても、ユーモア、笑いが大切なことは言うまでもない。
しかしユーモアにも、言葉や文化に関係なくグローバルに通用するものと、言葉や文化がわかっているからこそ面白いローカルなものとの2種があるように思われる。
今回はその両者の例を出し、比べてみよう。


ローカルな小噺をひとつ。


ある豪邸の庭に池があった。
その池の縁に、桐の下駄がそろえて置いてあり、池にはフナとコイが泳いでいた。


フナとコイのどちらかが、岸にあがって下駄を履いたが、はたして下駄を履いたのはフナとコイのどちらでしょうか?






答えは、フナ。


そのこころは……
「コイははかない」。
分かったでしょうか?








対してグローバルなジョーク。


ある家庭に悪ガキがいた。
両親が心配し、一計を案じた。
子供の部屋のベッドの上に、4つのアイテムを並べたのである。
ひとつ目は1万円札、ふたつ目はバイブル、みっつ目は酒の瓶、よっつ目は女性のヌード集。
子供がどれに一番関心を持つかということで、子供の将来を判断しようということである。


やがて子供が帰ってきた。
この4つを見て、悪ガキはただちに1万円札をポケットにねじこみ、バイブルを小脇にかかえ、酒のラッパ飲みをしながらヌード集を見始めた。
そこで、両親の結論:「この子は将来政治家になる。」


少し、次回に続きます。