2016年7月23日土曜日

199:国家の安全保障ってなに?

各国とも、政治にたずさわる人たちは、二言目には「安全保障」「ナショナル・セキュリティ」といった発言をされる場合が多い。
しかし考えてみれば、一国の安全保障を拡大していくと、当然ながら別の国の安全保障との間に摩擦が生じることは、歴史が物語っている。

これに関連させてみたいことがらとして、私の高校時代の恩師が晩年、次のようなことを語ってくれた。
いわく、「ある時点において自身の自由の限界を認識することが、自由そのものを拡大させることにつながる」。

これは自由に対する非常に本質的な洞察ではないだろうか。
そしてこの発想が、諸国間の安全保障の議論に適応できるのではないかと私は考える。
つまり、世界の中での自国の安全保障の限界をはっきりと認識することこそが、真の意味で安全保障の拡大へとつながるのではないか、ということである。

このように安全保障とは、グローバルな次元から発想しなければ、殺戮や戦争がManageされる人類が望むような状況に到達できないといえないだろうか。
憲法9条を持つ日本においては、安全保障についても、地域は無論、グローバルな安全保障をどうするかという、次元の上位展開をすることが世界社会に対する発信になるかもしれない。

なお言ってしまえば、その答えは、ただ有識者会議を開いているだけでは出てこない。
切実な問題意識を持った人間が、死ぬ思いで考え抜けば、答えが出てくることだろうと私は思いたい。

たとえば生物学の分野で驚異的な成果をあげた京大の山中教授の原点もおそらく、問題を共有する数人の仲間と死ぬ気で、寝食も忘れて研究されたということにあるのではないだろうか。

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