2017年11月29日水曜日

289:教育改革のひとつの原点

立派な先生方が、グローバル化に対応する目的もあってのことだろうが、教育改革について様々な提言をされている。
これらのすべてを読んで理解する能力は私にはないが、素人なりに考えて、ここにはひとつの大きな欠落があるように思う。
それは、教育において最も基本的な領域である「考える」ことについて、どのように教科に入れ込んでいくのかである。

例によって、「考える」を広辞苑で引くと、5項目ほどあり、代表的と思われるものを引くと、「事情を調べただす。思考をめぐらす。あれこれと思量しことを明らかにする。学ぶ。学習する。」とある。

日本語の「考える」を英語の"think"と比較してみると面白い。

Webster英英辞典では、まず"think"だけで、他動詞に8項目、自動詞でも5項目が見られる。
そのうちの自動詞からひとつを抜き出すと、以下のようなものがある。

Think


to bring intellectual faculties into play; to use the mind for arriving at conclusions, making decisions, drawing inferences, etc.; to perform any mental operaction; to reason.
知的機能を活動させること。結論に至るために、決定するために、また推論するため等に、精神を用いること。あらゆる精神活動を行うこと。理由付けをすること。

そもそもの「考える」という語についても、様々な見方があるようである。
日本の教育改革論のなかで、「考える力」についての論議が十分なされたとは思うが、しかし今一度、「そもそも考えるとは何か?」という原点に戻ってみる必要がある。
グローバル化を考えるなかで、"think"する能力の重要性を、いまさら言う必要はないであろう。

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