2017年11月1日水曜日

285:「なぜ」という問い

最近、オーストラリア出身の友人で、日本の私立大学の学長を務めたこともある人物と、日本人の考え方の特性について色々と話をする機会があった。
そこで、日本人の美点でもあり欠点でもあることのひとつが、"Why"を問わない文化であることだ、という指摘があった。
これはまさにその通りである。

私なりに"Why"を問う目的を整理すると、それは4つに分類される。

過去の現象の原因を問う「なぜ」。
複数問題の優先順位を問う「なぜ」。
意思決定の根拠を問う「なぜ」
リスクの原因を問う「なぜ」

このような話をその友人に返したところ、日本の社会でこれから最も重要になる「なぜ」は、三番目の「なぜそれを選ぶのか」というものであるという。
確固たる根拠が明確でなければ、行動を起こしても失敗をしてしまうのだ、ということをこの問いは示唆している。

日中関係の親善を促進する日本のNPO団体が、日中のジャーナリストを集めてシンポジウムを開いたことがあった。
その報告書の中に、中国人ジャーナリストのコメントとして次のようなものがあった。
「日本のジャーナリズムは、ある事件や現象が起きた際の、詳細な説明に関する記事は実に見事である。しかしながら、そこには「なぜ」という発想が抜けているのではないか」
このような記事を友人との会話の中で思い出しもしたのであった。

0 件のコメント:

コメントを投稿