そこで、日本人の美点でもあり欠点でもあることのひとつが、"Why"を問わない文化であることだ、という指摘があった。
これはまさにその通りである。
私なりに"Why"を問う目的を整理すると、それは4つに分類される。
①過去の現象の原因を問う「なぜ」。
②複数問題の優先順位を問う「なぜ」。
③意思決定の根拠を問う「なぜ」。
④リスクの原因を問う「なぜ」
このような話をその友人に返したところ、日本の社会でこれから最も重要になる「なぜ」は、三番目の「なぜそれを選ぶのか」というものであるという。
確固たる根拠が明確でなければ、行動を起こしても失敗をしてしまうのだ、ということをこの問いは示唆している。
日中関係の親善を促進する日本のNPO団体が、日中のジャーナリストを集めてシンポジウムを開いたことがあった。
その報告書の中に、中国人ジャーナリストのコメントとして次のようなものがあった。
「日本のジャーナリズムは、ある事件や現象が起きた際の、詳細な説明に関する記事は実に見事である。しかしながら、そこには「なぜ」という発想が抜けているのではないか」
このような記事を友人との会話の中で思い出しもしたのであった。
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