2014年4月21日月曜日

22:世界で議論が噛み合わない日本

シンガポールの友人の話です。彼曰く、同じアジア人である日本人と物事を交渉したり問題解決をするよりも、欧米人とのそれの方が意思疎通がスムーズで、効率良く結論を出すことができる、とのことです。
植民地時代の影響(特に英語の公用語化)・西洋制度の積極的な導入・欧米留学経験者が政府や企業で要職に就き、欧米的な思考法を日常業務で使っていることなど、この背景にはいくつかの要素があるでしょう。


致命的な要素のひとつは、日本語にあります。よく、日本語は主語が明確でなくても意思疎通を図ることができる、と言われます。しかしこれよりも重大なことは、日本語では複数形と単数形が意識して区別されないことです。


例えば上司が部下に、「君の部署の問題は何か」と聞いたとき、「最優先の問題をひとつ挙げろ」と言っているのか、「諸問題を挙げろ」と言っているのかが明確ではないこと、さらに言えば、質問者自身すらこの2つの側面の違いに気づいていない場合があることがあるのです。
「諸問題」であれば、複数の項目が報告され、「優先順位」という発想につながっていくでしょう。
(優先順位の概念は、複数の案件から、他に先駆けて行使するものは何かを判断する行為です。)


このことは、問題が発生した状況での「対策は何か」という質問でも同じです。「諸対策」という発想をすれば、幅広い対応が可能になります。






噛み合わないもうひとつの背景は、日本人が問題から結論に至るプロセスを意識しないことにあります。
私の古い友人でMIT(マサチューセッツ工科大学)で原子力を修士まで学んでいた人がいました。ある期末テストで原子炉にある異常が出た場合、炉の温度は何度になるか、という問題が出題されました。彼は優秀な頭脳の持ち主で、私の記憶では自信を持って「5.6度」と解答用紙に記入し、真っ先に教室を出たそうです。


ところが、この回答への教授の評価は不合格であり、不服に思ったこの友人は教授に直談判に向かいました。教授曰く、この回答が正解であるという根拠が何も書いていない。どのような過程を経てこの数値が出たかというプロセスが不明確である、とのことだったそうです。


友人はこの一件で、結論に至るプロセスの重要性を強く認識したようです。






ところが、日本の対外担当の人間が、結論に至る経過の概形を相手と共有する、という意識があるかは疑わしいと思うのです。
議論のルールや作法といったことがないままに交渉を行っているようです。


単一文化・単一民族の日本ではそれでも良いですが、プロセス思考・システム思考の海外においては、結論に至るプロセスの概要を知る必要があるのではないでしょうか。


TPPの議論でも、よく「切り札」という語が聞かれます。しかし、ポーカーのルールを知らないでは、どこでその切り札を出すべきか、ということなど分からないのでは、と私は思うのです。



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