2014年4月10日木曜日

20:「衣」「食」「住」「?」のはなし

水俣病に関する写真集とベトナム戦争時代下でピューリッツァ賞を受けた、ユージーン・スミスというアメリカの写真家がいました。ベトナム戦争下の写真は、ひとりの少女がナパーム弾で衣服を焼かれ、あぜ道を逃げている写真で、記憶にある人も多いでしょう。
私はそこで、衣・食・住と素っ裸の少女の写真が頭の中で交差して忘れられなくなった時期がありました。大いに悩みました。
人間の存続条件としての衣・食・住のうち、なぜ「衣」が最初に来るのか、これに私は悩んだのです。みなさんの肉親の女性が仮に裸で空腹の状態で公衆の面前に立たされたとしましょう。そこに食物と体を覆う布が差し出されたとしたら、どちらに先に手が伸びてほしいか、といえば、それは布の方でしょう。


このことは人間のdignity(尊厳)に関わる問題だと思うのです。


旧約聖書にもこれは書かれています。知恵の実を食べたアダムとイブが「まず最初に」したことは、体をイチジクの葉で覆うことでした。知恵ある、尊厳のある人間という存在は、「衣」なしでは人間としての生を生きられない、ということが古代にすら示されていた、と言ったら過言でしょうか。


私の欧米の友人にこのことを話してみました。彼らは躊躇なく「食」が最も重要である、と答えました。しかし、これも、彼らが狩猟民族であり、「食(動物を狩ること)」が「衣(毛皮)」にもつながることを考えると納得がいくようにも思います。


ところで、シンガポールに出張した際に、中国系の友人にやはりこのような話をしてみました。すると、「中国には人間存続の条件が四つある」という思わぬ回答が返ってきたのです!
衣・食・住に加えて、四つ目のものは、「行」であり、意味は輸送・通信手段とのことでした。広い中国では、この「行」が必要条件であるのでしょうが、日本では国土が狭いため、中国からこの四つが伝播した後に消えてしまったのでしょう。


しかし、このことでいま日本は困っているのです。250年の鎖国も相まって、日本にはこの、他社とコミュニケーションをとるという「行」の考え方が希薄で、それによって現在、外国への発信が他に比べて下手、ということにつながっているのかもしれません。

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