2014年7月17日木曜日

42:軍事力は“コスト”なのか、“投資”なのか

我々は何の疑問もなく、国防費は国を守るための「コスト」として捉えています。世界中で再び国防費の拡大こそが抑止力として平和を維持すると、考えられているのはないでしょうか。安部政権も例外ではありません。


国を守るためには、どのようなコストをかけてもしょうがないという、考え方に流れてはいけないのではないでしょうか。なぜなら、この考えでは、エンドレスな軍拡競争が再現されるかもしれないからです。これは恐ろしいことです。


日本人は唯一の被爆国として、このような軍拡レースの一翼を担ってはいけないと思うのです。しかし、米国との友好関係を続けることが日本の安全につながるというジレンマもあります。


米国も昨今の中東状況から軍事力と外交手段では、さまざまな紛争を解決することが非現実的であると考え始めているように見えます。そこで、日本はどのような考えを展開したら良いのでしょうか。これが、スッキリしないので、日本人の中にイライラが溜まっているのです。どうしようかという議論が日本人の間でもうちょっとなされてほしいものです。


確かに防衛費は国を守る「コスト」ではありますが、国を守るための「投資」という発想ができないかと考え続けています。国防費は投資であるという発想をすれば、「配当」は戦争がない状態といえるでしょう。ところが、現実は無配当が続いています。それどころか、増資、増資と軍拡に向かっています。


軍事費をどうやったら「配当」を生むことになるか。そして「配当」とは何か。その答えを出す努力をすることが、平和を愛する日本人に突きつけられた課題ではないでしょうか。

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