2016年2月10日水曜日

168:政治家という立場


政治家という責務ある立場に立つことについて、私が最近思い出すエピソードをふたつ書いてみたい。


ひとつめ。
ひと昔前、当時のインディアナ州知事であった友人のフランク・オバノンを訪ねたことがあった。
執務室に面談に行ったときの話である。
知事は予定が詰まっていた様子で、20~30分待たされることになった。
ここで、秘書が、日本人形や刀剣といった、日本の伝統工芸品を私のところに持ってきて、これらを値踏みしてくれと頼んできたのだった。


当時といえば、日本企業の米国進出が盛んな時代で、有利な進出条件を引き出すため、知事に会おうとする日本企業の多い時代であった。
秘書が私に値踏みを頼む理由がよくわからず聞いてみたところ、面会者が持ち込んだ知事への土産は、すべて価値を概算・記録し、保管しなければならないという法律がある、とのことだった。


米国にはロビイストによる活動もあるようだが、政治家への贈り物に対してこのような規定があるということと、日本の「口利き」の現実とのギャップに茫然としてしまった。


ふたつめ。
米国上院で活躍し、共和党の院内総務も務めたヒュー・スコットという人物がいた。
中国通であると同時に親日家でもあり、日本にもたびたび訪問していた。
理由はわからないけれども、非常に親しくさせてもらっていたものだった。


私が妻とワシントンを訪問した際、スコット議員が上院議員食堂で昼食をご馳走してくれた。
この時、和紙でできた便箋のようなものを何の気なしに手土産に彼に贈ったのだった。
するとスコット議員はにわかに表情を変え、私を近くの売店へと連れて行き、プレゼントだと言ってボールペンを買い、渡してきたのであった。


ここに私は、米国で公の責任ある立場に立つということの厳しさを見たように思う。

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