2018年3月20日火曜日

303:日本の教育におけるコンセプチュアル・スキルの重要性

日本の企業による、自社の存続をかけた企業買収が進行していると聞く。
このこと自体は結構なことと思う。

しかし、心配なことのひとつは、誰がその企業を経営し、監督するのか、あるいはそういった人材が現在育っているのかということだ。
もうひとつの心配は、経営環境の変化に対する柔軟性と「面子」のバランスをどうするのかということだ。
言い換えれば、「失敗したら撤退する」ということが、しばしば企業の「面子」によって妨げられるということだ。
「撤退する」ということは、あくまでひとつの選択肢であって、なにか人間的な敗北といったことではないのだが、人はしばしばこのふたつのことを混同して考えてしまいがちなのである。

さて、ひとつ目の「心配」に戻れば、長期的に見て、国際的に通用する人材の教育・育成が重要である。
その際、論理的な思考能力ということが当然ながら必須の要素となろうが、しかしながら、日本の現在の教育ではこの能力を開発するカリキュラムは整っていない、というのが現状ではないだろうか。
ゆとり教育の導入やその撤退という経緯はあるにせよ、日本の教育はまだまだ本質的に「知識偏重」のものである、と私は思う。
「知識」の重要性を否定するわけでは毛頭ないが、その獲得した知識も、実践のなかで「活用」されなくては意味がない。

少なくとも大学教育までには、様々な分野に応用可能な「コンセプチュアル・スキル」というものを(入門的にであれ)解説し、演習する機会が日本の教育に導入されてしかるべきではないだろうか。
直面する問題に対して、結論を導くための思考するプロセスを論理的に構築できる能力。
また、そのような能力を(暗算的なもの、特定の経験に基づくものではなく)様々な分野に応用可能なある「型」として持っているということ。
これこそ、国際的に通用する人材に求められ、また同時に、現在の日本の教育に欠けてしまっているものではないだろうか。

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