2018年5月26日土曜日

307:数年ぶりの米国母校訪問

4月中旬、3年ぶりに米国インディアナ州にある、リベラルアーツ大学である、DePauw Universityという私の母校を訪問した。

実はこの大学は、第一号留学生が、1877年に渡米した日本人学生であるという、日本とも関連の深い大学である。
1838年に設立され、学生数約2500人。
私は同校の卒業生で、1998-2007年の間に理事を、以降は終身理事を務めている。

現在何と22名の日本人留学生がおり、また彼らのほとんどは短期の留学でないRegular Studentである。
学長から、日本人留学生を激励し、彼らの相談などにも乗ってほしいとの話があったことなどが、今回の渡米の目的だった。
現地では学長をはじめ、多くの教授と面談し、また日本人留学生22名全員と、3、4名ほどのグループごとに面談をした。
とりとめのないものになるかもしれないが、その際の感想を書いてみたい。

まず一つ目の印象は、いわゆる「人間力」、つまり初対面から相手と深いコミュニケーションを取ることのできる能力が高いと感じた。
これは私に対する質問の内容や、自分の意見を率直に述べる様子などから感じられたように思う。
もちろん率直といってもぶっきらぼうであるということではなく、配慮や敬意といったものが感じられ、表情が明るく、ほがらかで生き生きとした彼らとの会話は愉しい時間だった。

二つ目に、個々の学生の専攻や興味は多様だったが、ものごとの定義を明確にして会話を進める学生が多かった。
哲学を専攻する学生から「教育の定義はなんですか?」と聞かれたときには弱ってしまった。
また、なぜ?(Why?)という質問も多かった。
これは根拠に関する「なぜ?」であり、単なる事実関係の確認に関する「なぜ?」ではなかったように思う。

また三つ目に、彼らが米国での生活に慣れつつも、日本への愛情がうかがえたことも興味深かった。
これは、議員バッジを付けた先生方の国家の将来の方向に対する考え方よりもさらに真剣なものを感じた。
ともあれ、このことが示しているのは、これから国際的に活動する人々は、人間として成長する過程において、複数の文化的背景を持ちうるということだと私は思う。
過度に日本を批判するアメリカナイズされた態度に終始するのではなく、世界社会で活躍する際の、ある人の文化的ルーツが複数の国にまたがるということが可能であるのだという実感を持った。

18歳以下の人口が激減している日本においても、単に知識を与えるのみではなく、全人格的な教育を伝統に置いた高等教育機関が育っていくことが望まれるのではないか。

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