2017年8月23日水曜日

272:外国特派員との会話

米国人特派員の友人との会話から、いくつか思うところがあったので、今回はそのことについて書きたい。

諸外国のメディアにおいて、日本に関する記事はますます減少していく傾向にある。
海外のメディアが日本を取り上げることが最も多かったのは、日米貿易摩擦のころ、つまり「ジャパン・バッシング」のころだった。
これをピークに、日本に関する報道は減少の一途をたどっている。

ジャパン・バッシングの次には、ジャパン・パッシングが来た。
特に外国メディアのアジア拠点が、上海、香港、シンガポールなどに移転していった。

次には、ジャパン・ナッシング。
日本など取るに足らない、という時期である。
これには、IT産業などが日本で育たなかったといったことも関連するだろう。

そしてジャパン・ミッシング。
ちょっとした挿話をすれば、ユナイテッド航空での各国のローカル時間の掲示から、日本が削除された。
詳しい友人に確認したところ、実際、ハブ空港の役割は既に東京から香港に移動したということだった。

このまま放置すれば、やがてはジャパン・ヴァニシングへとなっていくことだろう。

日本人の友人のなかには、「日本は世界社会で貢献する意思もなければ、力もない。ポルトガル化でいいじゃないか。ポルトガルなら食べ物は美味しい、自然は豊か、生活環境は良好。一世を風靡した記憶にすがらない方が良い」といったことを言う人もいる。
しかし、戦中・戦後を知る世代としては、これには一抹のさびしさを感じる。

現在の日本には国際的に報道されるべき材料が少ない。
冒頭で触れた米国人記者の友人は、内閣の閣僚のスキャンダル・退任、またそれに伴う国会の空転は、海外に報道する材料にはならない、とぼやいていた。

日本から発信するに値する、あるいは報道されるに値するニュースとは一体何なのか、国民ひとりひとりもそれを考える時期に来ている。

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