2017年8月2日水曜日

269:一見まじめ・本質ふまじめの人たち

これは経営やマネジメントに属する領域かもわからないが、世界のリーダーたちの最近の行動と、彼らの周囲にいる人材を見ていると、「人を見る目」について考えてしまう。
学問的な根拠などがあるわけではないが、人の分類について、個人的には四つの分類があるように思う。
それは、①「一見まじめ・本質まじめ」②「一見まじめ・本質ふまじめ」③「一見ふまじめ・本質まじめ」④「一見ふまじめ・本質ふまじめ」の四つである。
このなかでも特に問題となるのが、②「一見まじめ・本質ふまじめ」の人々である。


②「一見まじめ・本質ふまじめ」の人間が影響を及ぼす組織・会社・国といったものは、不幸である。
森友・加計学園などのスキャンダルの舞台裏にいる人たちの多くは、このような②「一見まじめ・本質ふまじめ」の人々なのではないかと思う。
つまり、表の顔はいかにも善人に見せかけながら、裏でろくでもないことをしている人々のことである。
このような人々が政治を動かすような社会は、ますます劣化していくことだろう。



ちなみに、①「一見まじめ・本質まじめ」の人々は、意外に社会で上手にやっていきづらいところがあるかもしれない。
まじめの定義はもちろん難しいのだが、こういった人々は学者や聖職者に該当するだろう。
しかし、このような①「まじめ・まじめ」の人々が②「一見まじめ・本質ふまじめ」の人々に利用されるような場合、これもまたきわめて不幸な事態であるし、社会全体の生産性も落ちていくこととなる。

④「一見ふまじめ・本質ふまじめ」の人々に関してはどうしようもないのだが、しかし社会にはこういった人物もいる以上、上手くやっていく必要があるだろう。


反対に、理想的なことを言えば、③「一見ふまじめだが、本質はまじめ」な、柔軟で、信念を持った構成員が多い組織こそが、安定した、発展性のある社会に結び付いていくように思う。

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