2017年8月26日土曜日

273:「○○ファースト」の先に何があるのか

他の国のことで恐縮であるが、先日、J.F.ケネディ元大統領の57年前の就任演説をじっくり読んでみた。
この演説は高い評価を受け、日本でも当時話題になったものだったが、あらためて読み返すと、そこにはアメリカ国民の大国としての自負と、大国であるがゆえの責任が表れており、感銘を受けた。

2017年の現在、トランプ大統領は"America First"と言い、小池都知事は「都民ファースト」と言っている。
あくまで私見ではあるが、その行きつくところは"Me First"なのではないだろうか。

もちろん"me"つまり自分が大切であるのは自明のことだ。
しかし社会があってこそ自分自身が存在するという認識に立てば、社会(you)もまたきわめて重要なものであるということに気づくはずだ。
要は、"me"(自身)、"you"、あるいは"us"という要素のバランスをどのように考えていくのかということではないだろうか。

"America First"に相対する発想は、例えば前述のケネディ元大統領のスピーチで実は既に述べられている。
... my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.
国があなたのために出来ることを求めるのではなく、あなたが国のためにできることを求めなさい。

また世界社会に向けては、次のようにも述べている。
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.

アメリカがあなたがたのためにすることではなく、人類の自由のために私たちが共にできることを求めなさい。


このケネディ氏のメッセージは、米国民に対するものであると同時に、自由を信奉する日本人に対するものでもあるだろう。
先ほども述べたように、"America First"や「都民ファースト」は"Me First"に向かっていく。
この"Me First"は、各々が責任ある個人として確立し、社会を構成していくような「個人主義」とも、似て非なるものだ。


「○○ファースト」という発想の限界と、その先に一体何があるのかということを私たちは考えてみなくてはならない。

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