2017年8月9日水曜日

270:日本文化にある問答

Question & Answerという表現がよく使われる。
これを日本語に訳すと、やや古い表現かもしれないが、「問答」ということになるだろう。
この問答という概念について、少し書きたい。

たとえば「問答歌」という和歌のジャンルも存在しているように、この概念は日本文化において決して新しいものではない。
ところが最近の知識中心教育の結果、問答不在の社会が形成されてしまった。
現在の多くの日本人は、できるだけ論議をすることを避け、人の意見に同調するなど、意味ある「問答」がなかなかできない。

この状況において出てくる具体的な課題は、まず質問をする力を付けるということであろう。
質問の目的が、情報を収集することや、ものごとの根拠を確認することなどとしても存在し、必ずしも責任を追及したり、相手を窮地に追い込むために質問をするわけではないのだ、ということをまず認識しなければならない。
たとえば国会の予算審議のテレビ中継を見ているときなど、強くそのように感じる。
質問はコミュニケーションにおいてきわめて重要であり、またそれは人格攻撃といったこととはまずは別のこととして考える必要がある。

翻ってAnswerということは、ひとことで言えば相手の質問に情報や根拠を提供することである。
また同時に、自身のOpinion(意見、見解)を形成し、開示することでもある。

質問することも答えることも、それぞれに大事なことなのである。
そして繰り返すが、それは本来「問答」という言葉で日本文化のなかにきちんと存在していたものだ。
「問答」という日本文化にある知恵を、いちど原点に戻って見直す必要があるのではないか。
特に、教育改革を論じる場面では、そのことを強く認識してほしい。

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