2015年2月21日土曜日

85:知識偏重教育の限界 その3

中国が今日のような発展をする前、中国の技術者集団と話をする機会がありました。
まず名刺交換をし、私は中国語を介さないので、まず名刺の英語の方の表記を読みました。
そこにはengineerあるいはchief engineerとありました。
裏側を見ると、そこには中国語で、「工程師」「総工程師」とあったのです。
日本語では「技師」あるいは「技師長」となるところでしょう。


そこで、通訳を介して「工程師」の定義を尋ねました。
答えは、ある仕事の「工程」作成し、環境の変化に対応しながら、完成までに責任を持つ人間、というものでした。




「製造」と「思考作業」は実は上のように、非常に似た過程を取ります。

私はこの、目的への過程を強く意識した彼のよくできた定義に驚きました。
教育改革を考える場合、「思考」をどのように学ばせるかということも考慮しなければいけないように思います。
要は結論を得るための考え方の段取りを論理的に構築する能力をいかにして身に付けさせるか、ということが問題なのです。

また、上の図に関連させるなら、製造の場合にそれぞれの工程で品質管理があるように、思考過程においても、情報のQC(Quality Control)、思考のQC、そして結論のQCが不可欠であることも忘れてはならないでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿