2015年6月17日水曜日

114:教育の目的とは

我々国民から見た政治家の責務は、国が直面する重大課題を棚卸し、優先順位を付けて、具体的なソリューションを策定・実施することではないでしょうか。
この中の優先課題のひとつが、「日本の教育をどうするか」ということだと思います。


広辞苑によれば、「教育」とは「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」とあります。
また、教育基本法の前文の一部を引用すると、「我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する」とあります。

これは、前文でしかないのですが、教育の本質を分かりやすく記述したものかどうか疑いたくなります。
私の単細胞的発想で言えば、教育の目的は「自分で考え、結論を出し、行動ができる人間をつくりあげる」ということではないかと思うのです。

あえてさらに言えば、この能力を発揮するために何が必要かと言うと、「知識」「智力」「遂行力」「技能」「理念・信条」の5つではないかと思うのです。

「智力」には若干の説明が必要かもしれません。
「智力」とは、与えられた情報を加工して、自分なりの結論を出す力と考えます。
日本人が見落としがちなことですが、この得られた結論を実施した場合に起こり得る「まずい現象」への事前の策を講じておくことも必要でしょう。

また、「遂行力」とは、英語で言うabilityですが、ふつう日本語にすると「能力」となるでしょう。
しかし、英語の辞典を引くと、第一義にはPower to Doとあるように、これはいわゆる日本語の「能力」とはまた別の概念であるため、「遂行力」としました。

これらの5要素の大元は、実はユダヤ教の聖典である『旧約聖書』にあります。
今日、ユダヤ人が優秀であると言われる背景には、これらの要素が、彼らの教育の中心にあるからではないかとさえ思います。

日本の教育論も、目的と手段を混同しないで、まず目的に関する討論がなされることを望むものです。

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