2015年6月27日土曜日

116:謝罪とは

広辞苑(第六版)によると、「謝罪」とは、「罪やあやまちをわびること」とだけあります。

日本のように、殺人を犯しても20年やそこらの懲役で済んでしまうような、ものごとのけじめに甘く、よく言えば「寛大」な国民性を共有する社会の中では、「謝った/謝らない」の問題だけで終わってしまうということが、この辞書の表現に表れているように思います。
また、一部上場企業で不祥事が起きると、責任者がワンパターンに取材陣に謝罪し、45°の傾きで頭を下げる、という光景が見られます。

日本人は謝罪という行為をかなりあいまいに扱っているのではないか、と考えます。

アメリカでの謝罪の例を具体的に挙げてみましょう。
例えば、太平洋戦争時における、日系米国人市民の強制収容に対し、1988年にレーガン大統領が米国政府として初めて謝罪をし、また、1991年にはブッシュ大統領も謝罪・補償を行いました。
これは、日系米国人の謝罪要求に対応したことではなく、政府が主体的に行ったものだということに注目したいものです。

国際関係論の学者でもない素人の発想ですが、「謝罪」というのは主体的に・自主的にされるものであり、相手に要求され、それに屈服するような形でなされるものではないのだと思います。

最後に、国民の一人として思うことは、日本の過去の行為に対して謝罪を要求している国があるようですが、「要求されたから謝罪する」「謝罪することを要求する」という発想は、賢い発想ではないのではないかということです。
みなさんはいかが考えられるでしょうか?

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