2015年6月5日金曜日

112:国防と殉職

集団的自衛権についての論議が最近活発ですが、この中で、関係者が意図的に避けている論点があるように思います。
それは端的に言えば、日本の自衛隊であれ他国の軍隊であれ、いったん戦争状態になれば、隊員の殉職が「あり得る」という可能性についてであります。


このことは、警察官や消防士であれば、最悪の場合、職務中に命を落とす場合があることを承知の上で任命を受ける……ということと何が違うのでしょうか?
はっきり言えば、自衛隊の隊員は、日本の防衛のため命を落とす可能性があることを承知の上で職に就いたはずだ、ということです。
また、国民もマスメディアもそのことを認識しても良いのではないでしょうか?


同盟関係なくして一国の防衛ができないという状況は、みなが認めるところでしょう。
「あってはならないこと」ではなく「あり得ること」として、自衛隊員が殉職するかもしれないことを認めたうえで、安全保障を考える必要がある、と考えます。


このことを言い出し、いわゆる「進歩的知識人」により袋叩きに遭うのを恐れて、あえてこの可能性に触れずに議論が進んでしまう、というどうもおかしな状況があるように思います。


外国の友人と安全保障に関する議論をするときに、「日本の人たちは、戦争状態になった場合、自国を防衛するために、自衛官が犠牲になるということがあってはならないと考えているのか」と問われることがあります。


私は答えに窮します。

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