2017年3月15日水曜日

244:選択肢とは何か?

昨今の会話のなかでは、「選択肢」という言葉がしばしば使われる。
これは、国会答弁やビジネスなど様々な文脈においても便利に使われる言葉である。
この言葉は、ちょっと調べてみると、私の手元にある『広辞苑』の昭和41年第1判第20刷では、載っていない。
つまりこの「選択肢」という言葉は、現在広く使われてはいるものの、かなり新しい言葉なのである。

この「選択肢」という言葉が最近まで一般用語として使われていなかったことに驚かれる方もいるかもしれないが、日本人のあいまいな思考方式を考えれば、これは当たり前のことなのかもしれない。
私は、この「選択肢」という言葉が使われるようになったのは、1980年代から日本で活躍している米国系コンサルティング会社が、"alternatives"という単語を日本語で「選択肢」として使い始めたのではないかと思う。

さらに言えば、その背景は、例外的なことを除いて、日本語は単数形と複数形を区別しない言語であるということだ。
英語では、集合名詞などを除き、複数形を表すときに"s"を付ける。
翻って日本語では、単純に言えば、ひとつのテーブルと複数の椅子があっても、「テーブルと椅子がある」ということになってしまう。

さて、"alternative"と「選択肢」は、ともに、ある課題に対して考え得る複数の方策、手段をいうのである。
これに関しては、複数の方策・方法があるのであれば、最適な案を選ぶための判断基準のようなものが必要となるが、その話はまたにしよう。
今回は、日本語は従来、単数・複数を区別していないがため、混乱を及ぼす危険があるということを述べておきたい。
例えば、ある組織で問題が起きたときに、その責任者が「対策は何か?」と質問したとしよう。
その質問者が自身の質問を単数形か複数形か、どちらかで質問しているかの意識すらないのである。
単数形であれば、それを実施しようということになる。
複数形であれば、ある判断基準を作り、最適な案を選ぶことになる。また、もしその案を実施した場合のマイナス影響を考えて、決断をすることになる。

ことの善し悪しは別にして、我々は必要に応じて複数形の発想をすることが望ましい。


状況を複数形でとらえるということは、日本語の「理解する」という言葉につながる。
「分かる」の「分」は「分ける」という語にも使われているように、「理解」の「解」も「分解する」といった意味につながる。

日本人は無意識のうちに複雑な状況を分解して適切な解決をしてきた。
ところが、その思考過程が私から言わせると、「暗算思考」であるため、この思考はまわりに理解されづらい。
ここで言いたいことは、問題に直面したときに、適切な解決策をつくるためには、ものごとを「分けて」みるということが必要だ。

たとえば、太郎・次郎・三郎という兄弟がおり、「この子供たちの成績がよくない」という状況があったとする。
短絡的な発想をする親ならば、「3人とも勉強しなさい!」ということになるのだろう。
このように把握が抽象的であれば、対策も抽象的になってしまう。
子供たちの成績を詳しく「分けて」調査すれば、「太郎は国語が、次郎は数学の成績が下がっており、三郎に関しては問題ない」など、性格な状況を把握し、諸対策を講じることが可能となる。
状況を複数形の視点から考えること、ものごとを「分けて」考えること、これらが重要なことなのではないか。

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