2017年5月24日水曜日

257:目的、手段、テーマ

われわれ人間の思考傾向として、あるテーマに対して、どうしても手段に短絡する傾向がある。

例えば、友人が英国に留学するということで、自分も同様に英国留学を思い立った、という事例を考えてみよう。

しかし、すぐに付け加えるならば、留学をするという行動は、あくまで何らかのテーマに対する手段であって、テーマ自体にはなりえない。
上のような事態を、「手段に短絡する」という問題として考えることができる。
では、意思決定は、どのようになされるべきなのだろうか?


上の例での「テーマ」が、「国際教養を身につけたい」というものだったとしよう。
しかしこのテーマに対して、実際には多くのチョイスが本来は考えられるはずである。
行先はアメリカ、中国、フランス……と他にも様々なものが考えられるだろうし、さらに言えば、必ずしも「留学」ということは必要でない可能性もあるだろう。

とすると、これら複数のchoiceから、最適な案を選ぶための判断基準となるものが必要になる。
これが、"objectives"(「諸目的」)と呼ばれる概念なのである。

ここで言うobjectivesには、ふたつの側面がある。
ひとつは、ある選択肢を選んで行動を実施した結果としての、期待成果。
もうひとつは、テーマに対する人、モノ、金、時間、技術etc……といった制約条件。

まずは「テーマ」を考え、そこからさまざまなchoiceを考えた上で、objectivesによって判断を下すということ。
(objectivesは、別の言葉では"criteria"(「基準」)という言葉と同義である。)
このような考え方は、提示された、あるいは思いついた手段にこだわらずに、発想の幅を広げることに役に立つ。

意思決定において、上のような手順で考え、「手段に短絡する」ことなく判断を下すことが、より良い手段をchoiceすることにつながるのである。


ただ、組織において、経験や権限を持った意思決定者が、ある手段を即座に決めてしまう、ということもあり得る。
これは、ここまでの見方では必ずしも分析的なものではないのだが、とはいえ私はこれをただ「短絡だ」と批判するだけでは不毛ではないか、とも思う。
より建設的な議論は、その手段を実施した際に、どのような結果が想定され、あるいはその結果に対してどのような対策があるのか、ということを考えることであるだろう。
「短絡だ」という判断に「短絡」しないこともまた、重要なのではないだろうか。

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