2017年5月6日土曜日

254:憲法改正について

1947年に施行されて以来、現行の日本国憲法は1項目も修正されていない、という事実を国民がどう考えるかということが、今日の改正問題にかかわる見方のひとつだろう。
主要先進国で、過去70年間に憲法の改定を行わなかった唯一の国が日本であり、ヨーロッパもアメリカも時代の変化に合わせ、状況に応じて改憲を行ってきた。
このなかで日本の憲法の改正を、どう考えればよいのだろうか。

主な議論のひとつは、現行の日本国憲法が、日本の主権回復以前に、つまり占領下で施行されたものであるということだろう。
1951年のサンフランシスコ平和条約締結にともなう主権回復後、日本人の手で憲法を制定ないし修正する努力はなされたが、結果としてはいまだに憲法は手つかずの状態にある。

ここで問題であるのは、憲法(改正)の内容以前に、そもそも改正という形式の問題をどのように考えるか、ということがあまり議論されていないように思われるということだ。
変える/変えないという議論ばかりで、「どこを、どのように変える」という議論が、それこそ優先順位を決め、意思決定を行う…というシステマティックなかたちで行われてはこなかった。
繰り返しになるが、内容以前の問題がまずはあるように思われるのである。

ふたつ目の話題として、国民の最大の関心事項が9条にあることは明らかだろう。
戦争のない平和国家を建設するということを固く決心したことが戦後復興につながり、それによって今日の繁栄があり、またこの平和の精神は維持し、実現されるべきものだ、と私は考えている。
もちろんこの精神を、現実のものとするためには、数百年もかかるかもしれない。
しかし、日本国憲法改定のこの時期に、国際平和に対するまったく新しい次元の平和構築に関する議論が発信できれば、日本人は世界社会に対して大きな貢献ができるのではないか。
憲法改正に関する議論の高まる昨今は、ある意味では平和についてより深く考える良いチャンスなのである。
夢物語かもわからないが、私はあえてこのように述べたい。

具体的には、国際紛争の解決に武力を用いない、という9条の重要な発想について実はそれほど論議されていないように思われることに不満を持っている。
日本が平和国家として国際紛争の解決に武力を用いないと憲法に明記しているのであれば、国際紛争解決のために、「武力による威嚇又は武力の行使」以外の方法論を世界に先駆けて考え、発信していく義務があるのではないかと思うのである。

例えばこれは一例だが、現行の国防費の一部を、非軍事目的の領域に充てるのはどうか、といったような発想を大いに膨らませてみたいということだ。
ちなみにこのアイデアは私の創作でも何でもなく、戦後日本に対するアメリカの財政支援であったガリオア・エロア資金は、実はアメリカの防衛予算から出ていたのであるという事実がある。
もちろんこれには冷戦という背景もあっただろうが、現在の視点から見れば、これは本来であれば人を殺すための予算が平和構築に用いられたという面では、極めて画期的なことだったのではないだろうか。
やや話題が逸れてしまったが、このように、少し歴史を振り返ってみるだけでも、武力に頼らない平和構築の手がかりは様々にあるように思われるのである。

現憲法の草案時に、草案者の考えのなかに、「平和国家」と「国際協調」という概念があった、と私は理解している。
憲法改正についての議論が高まる現在、単に変える、変えないといった簡単なものだけではなく、このような精神に立ち返った議論があってもいいのではないだろうか。

現首相が、憲法に自衛隊を明記すると述べているということである。
このことが日本の軍事拡張でない、というメッセージを世界に発するためにも、国民の真意を表したいものだ。

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