2014年6月11日水曜日

37:日本人の寛容さ

(すこし俗な内容になるかもしれませんが)最近の韓国や中国との歴史認識問題を考えると、これらは「どのように相手と和解をするべきか?」というテーマでくくることができるように思います。
このような永遠のテーマを論ずる資格が私にあるとは思いませんが、あえて唯一の原爆被爆国の国民として、過去の不幸な出来事をどう処理すればよいのか、ということについて述べてみたい。


通常、被害者は加害者に対して強い立場にいます。
例えば交通事故で相手に怪我を負わせたとしましょう。
仮に幸いに傷が完全に治癒し、賠償がキチンとなされたとしても、被害者が加害者に対して「あのときの傷が寒い日にはうずくんですよ。」などと言ってしまえば、加害者としてはこれは弱ってしまうでしょう。


日本に話をスライドさせれば、しかし、原爆よる「被害者」である多くの友人が相手国家を傷つけた、という事実はありません。
これは人類に対する犯罪であると言う他ないような凄まじい殺戮である原爆投下、これを日本人はどのように和解に持っていったのでしょう。


被爆者が世界社会に対して訴えたことは''No More Hiroshima, No More Nagasaki''でありました。
また、あの忌まわしい出来事から69年を経て、いまさらことを荒立てて声高に被害者意識を強めるようなメンタリティを、多くの日本人は持ちません。


このような寛容な国民性によって戦争後のアメリカとの和解はなされたのですし、また、日本人はこのような寛容さを日本の誇りとして考えても良いのではないかと私は思います。


今日でも、宗教戦争や部族間対立が絶えない国際状況の中で、問題解決の方法としてこのような日本人の寛容さが理解され、共有されることを望むのは、夢物語でしょうか。






全くの余談になりますが、私がはじめて広島を訪問したときのことです。
例の平和記念公園には、世界中の元首から色々な記念碑が贈呈されていました。
少し気になって、案内してくれた友人に、「アメリカからのものはどこにあるんだ?」と聞いたところ、答えは「それはない」ということでした。
私は、加害者であるアメリカから広島に何も送られていない! ということに当時憤りを感じたことを覚えています。


しかし、米国のオバマ大統領による広島訪問が先日ありました。
寛容さは勿論ですが、これは「長い時間をかけた寛容さ」でもあるのだというのが、原爆投下から70年近く経過した現在、彼の訪問を思う際に考えることなのです。

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