2015年1月14日水曜日

76:日本をどこに持っていくか その2

1964年開催の東京オリンピックで日本は大きな経済的恩恵を得ました。
オリンピックを誘致する国々は自国の発展、あるいはその発展を喧伝する傾向になってきているようです。


2020年東京オリンピックの開催に当たり、我が国が韓国や中国の発想の延長線上で自国の宣伝的な要素を持つことに私は懸念を持ちます。


確かに、今日の日本の総合力を以て開催すれば、世界から称賛される質の高いオリンピックになるでしょう。


しかしここで、前号に載せたクーベルタン男爵の言葉に、日本はいまこそ戻る時ではないでしょうか。
「平和でよりよい世界の実現」という基本精神に立ち返るのです。


設備・運営・選手へのサービスに関する予算を抑え、「さすが日本」と呼ばれる大会にしたいものです。
それは、規模や華々しさで「圧倒」するのでなく、オリンピックの原点に戻った「感動」を人々に与えるものであって欲しいと思うのです。
極論を言えば、これまでのオリンピックのイメージを変えてしまうくらいのものでもいいのではないかと思います。


例えば開会式のイベントはこれまでのような自国の顕示ではなく、パレスチナとイスラエルのような対立国同士が数百人単位で共演して平和のための行事を披露するとか、紛争地域の少数民族が協働して平和を訴える……あるいは、オリンピック種目にない競技者の少ないスポーツを数多く披露する。


などが考えられるのではないでしょうか。
無論、これらに関する費用は全て東京オリンピック委員会が負担する、という形です。


このように、近代オリンピック当初の意義を思い出し、これに沿う形で2020年東京オリンピックを構想する、というのはどうでしょうか。


また、まだ2024年のオリンピック開催地は決まっていないようですが、1964年の日本がそうであったように、(先進国でなく)途上国での開催をより増やし、先進各国が莫大な費用の一部を負担するような形をとるなどしつつ、その国の経済発展を促すようにするのが良いのではないか、とも思うのです。

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