2015年3月13日金曜日

90:とんでもない分析―歴史問題について

去る3月8日、中国の全人代で、王毅外相が「七十年前、戦争に敗れた日本が、七十年後、再び良識を失うべきではない。歴史の重荷を背負い続けるか、過去と決別するかは、日本が自ら選択しなければならない」と述べたそうです。
これはまさに安倍総理が発表する戦後70年談話への牽制なのでしょう。
我が国の外務省はこれに対し一体どのような反応を見せたでしょうか。
日本国民の一人として忸怩たる思いを持ちます。


太平洋戦争後70年も経過した今日でさえ、なぜこのような状況が続いているのでしょうか。


その背景にある原因がいくつか考えられるでしょう。
まず、この問題に関連して頻繁に「歴史認識」という言葉を聞きますが、果たしてこれは一体何を意味する言葉なのか疑問に思います。
大変不勉強で申し訳ありませんが、長い歴史の中で、戦争当事者国の間で「歴史認識」という概念が70年という長期に渡って問題になったことはあるのでしょうか?


戦争の決着がついた後、勝者も敗者も各々の文化や国民性を踏まえて、それぞれのケジメをつけているのではないでしょうか。
そしてそれは、必ずしも同意された、同様のものではないというのが一般的でありましょう。


この問題を論じるときに、実に多くの言葉が使われます。
「植民地化」「侵略」「合弁」「併合」「統治」などがそれです。
これをみんな一緒くたにして「歴史認識」という語でくくっているから無理があるのです。
このような、あまり賢いとは言えない方策を採っているように見えてなりませんが、どうでしょうか。


1910年に寺内正毅と李完用の間で結ばれた「韓国併合ニ関スル条約」においていわゆる韓国の言う「植民地支配」がはじまったとされています。
ところが、上智大学の渡部昇一名誉教授が最近のテレビ番組で語ったことによると、英国では、日本による韓国の併合をannexation(併合)という言葉で言っているようです。


「歴史問題」などと議論する前に、まず、「併合」という言葉が「植民地化」ということと何が違うのか? という前提のところから、研究をはじめていってもらいたい、と思うのです。


さらに、「侵略」の定義も甚だおぼつかないようです。
invasion(侵略)の定義は、辞書によれば「他者の領土に悪意を持って侵入すること。特に軍事力を以て他国に侵入すること」とあります。
どうしましょう?
日本はこの定義による意図を持って韓国に「侵略」したと証明できるのでしょうか。


また、日本の敗戦直前、1945年8月14日、中華民国の蒋介石は「重慶放送」と呼ばれるラジオ放送の中で「以徳報怨(徳を以て怨に報いる)」の考えを打ち出し、その後日本への賠償請求を放棄しました。
また、「残留孤児」と言われる多くの子ども達を現地の中国人たちが引き取り、養育したという事実もあります。
このような話が過去の戦争においてあったという話は聞いたことがありません。


賠償請求の放棄についてはアメリカも同様です。


この2国に対し、この点で日本は大変な恩義があると言って良いでしょう。
このようなポジティブな面から歴史の問題を掘り起こしてみるのもひとつの手ではないだろうか、とも思うのです。

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