2015年8月15日土曜日

128:日本人にとっての8月とは

平和を願望する日本人にとって、8月は特別な意味を持つ。
それは、8月15日のポツダム宣言受諾前後に起こった歴史的事実を考えれば明らかだろう。


1945年3月10日の東京にはじまり、名古屋・大阪と続く大空襲では、多くの市民の犠牲者が出た。




ワシントンのアーカイブスにある米国核実験記録によれば、第一回の核実験が7月16日、米国ニューメキシコ州で行われた。
第二回が8月6日、場所は広島。ウラニウム型の原子爆弾が、リトル・ボーイの作戦名で投入された。
これは世界初の実戦(Combat)使用だった。


第三回目の実験は8月9日、長崎。プルトニウム型のものがファット・ボーイの名で投入。
備考には、「これが最後の実戦使用」と記されている。


同日8月9日は、ソ連が日ソ中立条約を破棄し、対日参戦を行った日でもあり、ソ連軍147万人が満州・朝鮮半島に軍事侵入した。


補足すれば8月16日には、同じくソ連が日本領南樺太に侵攻・占領、18日の千島列島についても同様だった。


そして8月15日、ポツダム宣言が受諾、昭和天皇の玉音放送がなされ、太平洋戦争が終結した。
以前も書いたが、これは実質的に「終戦」ではなく、「敗戦」であった。


8月28日には、米軍の先遣部隊150人が厚木飛行場に降り立った。
大きな抵抗はなく、円満に進駐が開始されることになった。


8月30日、連合軍総司令官のダグラス・マッカーサーが同じく厚木に到着し、その足ですぐさま横浜に設置された総司令部に移動した。
同日には、1万3000人の海兵部隊が、百数十隻の上陸用舟艇で日本各地に上陸した。


そしてこの進駐の動きはその後の9月2日、午前9時4分、米国ミズーリ艦上における降伏文書調印へとつながってく。


毎年8月15日には、日本武道館で全国戦没者追悼式が、天皇・皇后両陛下および内閣総理大臣、衆院・参院議長、最高裁判所長官らの出席のもと、開催されてきている。
これはおそらく半永久的に行われる国事であることは間違いない。


これら8月に起きた歴史的出来事を、平和国家日本がどのように解釈し、未来の日本が向かうべき方向を模索することが求められている。

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