2015年8月5日水曜日

125:東芝問題と日本の思考様式

東芝の不正経理が発覚し、同社の信用が内外で問われている。
これは、組織のgovernanceの問題と同時に、日本人の思考様式にも原因の一端があるように思う。


私は短絡というお叱りを常々受けているが、あえてこの問題について私見を申し上げるならば、背景のひとつにあることとして、上司に対して異論を述べることが許されない日本の組織の風土があることを指摘したい。


これからの時代、上司が間違った判断したと思える場合、それにchallengeできない組織風土は健全なものと言えないことは明白だ。
これは、いままで日本を成功裏に導いた年功序列・終身雇用の制度が崩壊しつつあることとも関係がある。


経営スタイルが顕著に変容している一例は、日本にもオフィスを置く外資系企業であろう。
彼らは成果主義を採っており、現在、組織に身を捧げることよりも、与えられた仕事に対する達成が評価される社会に移行しつつある。


このような状況の中で、組織人は独立した存在として、与えられたjobを達成することこそが重要だ、という意識の変革が当然求められているだろう。


であれば、上司の理不尽な指示に従わず、自身の判断を貫く自由があり、またそれが認められる社会へと移行する時代が来るのではないかと思う。
さらにそこでは、上司の指示に対し、ただ反対を唱えるのではなく、その指示に従って行動した場合の結果(Consequence)が与える影響について発言できるのが大事だろう。


これはそれぞれの社会人が「公」に資する割合によって変わってくるものだが、この潜在的な結果の蓋然性(Probability)について上司に意見する勇気がこれからの日本人にあってしかるべきだと私は思う。


このように、東芝の教訓を、組織人全体の問題として考える必要があるだろう。
それは、繰り返しになるが、「公」と「私」のウエイトをどのようなバランスでとるかということである。

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