2015年8月8日土曜日

126:意思決定のコスト

驚くことに、『広辞苑』の最新版(第6版)に「意思決定」という語は掲載されていない。
また、意思決定の定義をどう考えるかという質問に対して、多くの人はとまどう。
そして、「それは決めることだろう」といった回答が圧倒的に多い。
同じ質問を欧米や東南アジアでしたことがあったが、どのような定義がでてきたか。
それは "Makeing of a choice"というものだった。
つまり、意思決定とはdecision makingのことである。
これは、複数の選択肢(Alternative)から最適な案を選ぶ分析行為なのだ。


ちなみに、我々の先達はものを決める際、3つの異なった表現をしていたようだ。
それは「極む」「決む」「定む」である。
このように区別を行い、ものごとの判断をしていたようだ。


「極む」は究極的に求める方向に関連し、必ずしも論理的・分析的なアプローチは採られない。
「決む」は経験や知識によるもので、これも同様に、必ずしも分析を必要としない。
この意思決定(Decision making)は3つ目の「定む」に該当すると私は思う。


choiceをするという行為には、情報が必要である。
情報をいかに加工し、結論を得るかという発想が重要である。


情報の加工とは、意思決定の場合には、複数選択肢を選ぶための判断基準を設定することと、それらに対し各々の選択肢がどのように評価されるのかということだ。
少し理屈っぽくなってしまったが、この情報の加工という行為が、効率的に・客観的に行われなければ、意思決定が迅速に・適切に進行することにはならない。


意思決定のコストは、結論に至るまでの資源(ヒト・カネ・時間)がどれくらいかかるかということだ。
直近で意思決定コストが高かった最大の案件とは、言うまでもなく、東京オリンピックの総合スタジアム建設に関する意思決定行為であった。
ものを決める作業にかける目に見えないコストに関心を持つという姿勢が、国の成長戦略にも直接関わりが出てくるのではないかと言いたい。

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