2015年10月24日土曜日

145:意思決定と優先順位の混同

日本民族が2700年ものあいだ存続をし、繁栄をしてきたということは、歴史の中で適切な意思決定がなされてきたからであろう。


ここで不思議なことがある。
『広辞苑』をはじめとし、主な辞書類に「意思決定」という単語は見当たらない。
「意思」も「決定」ももちろんある。
しかし、「意思」は「何かをしようとするときの元となる心持ち」、「決定」も「物事をはっきりと決めること」くらいの定義しかない。


日本人は過去において、どのような言葉を用いてものを決めてきたのだろう。
調べてみると、三つの概念が出てくる。


①「極む」
これは、「見極める」という表現にあるように、現在の用語で言えば、組織の将来の方向や性質をきめること。


②「決む」
これは単純に経験や知識や直観などでものごとをきめること。


③「定む」
これは、最適なものをきめること。


今日使われているDecision Makingは、この「定む」に当たるものだということを指摘しておきたい。
それは、あるテーマに対して、複数の案から最適な方策・手段を「選ぶ」ということ、つまりChoiceということである。


これに引きかえ、優先順位はまったく異質のものであることを認識したい。
優先順位とは、複数の課題がある場合に、どこから手を付けるか、ということを判断することである。
つまり、優先順位はひとつのものを選ぶ、ということではない。
他に先駆けて行使する項目を判断する、というだけのことであり、つまりその事項がいくつあってもかまわないということだ。


では、この優先順位を判断する基準は何だろう。
常識的に言えば、三つの切り口がある。


①重大度
例えば、その案件の及ぼす影響が、組織の一部に対してなのか、あるいは全体に対してなのか、という基準。


②緊急度
即座に対応しなければならないのかどうか、という基準。


③拡大傾向
案件を放置しておいた場合、大きな問題になるか、あるいは消滅することになるのか、という基準。


これらの側面を考慮した上で優先順位を決めると、間違いはないだろう。
要は、意思決定と優先順位は、全く異なる考え方であり、用途もその使い方も違うのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿