2015年10月3日土曜日

140:有識者会議とは何か

最近の政府の問題解決へのアプローチを見ると、やたらと「有識者会議」による重要問題の検討が目につく。
近い例で言えば、福島の原発への対応にも、この有識者会議がなされたことが報道された。


我々は無意識のうちに、有識者会議を、問題解決に対する権威ある頭脳の集まりであると思いがちだ。
しかし、有識者による判断業務が最も適切なものであるかどうかは疑わしいのではないだろうか。
当該案件に対して、専門的な知識を持つ集団がいつも適切な判断をするとは限らない。






ではどう考えたら良いか。
私が思うに、有識者・知識人の集団よりも、「賢人」集団の判断こそが適切な結論を出すのではないかと思う。


それでは、この「賢人」とは一体何なのだろうか。
私が思う「賢人」とは、見識があり、自身の領域で継続した実績を持つと同時に、公に対しての深い関心とコミットメントがある人物のことである。
例えば、私の考えでは、稲盛和夫氏のような人物が「賢人」である。
彼は京セラ・第二電電(KDDI)を創業し、また破綻した日本航空の再建を成し遂げた「実績」を持つ。
また先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の3部門において大きな貢献を果たした人物に毎年贈られる「京都賞」を1985年に創設するという、「公」への深い関心も持った人でもある。
私も以前この賞の式典に招待を受け、出席したことがあったが、稲盛氏の偉大なところのひとつは、この式典にも晩餐会にも彼は表に出ず、裏方を貫いたということである。
また賞の名前を「京都賞」とし、「稲盛賞」などとしなかったことにも注目したいが、この理由をお聞きする機会にはまだ恵まれていない。


僭越ではあるが、稲盛氏が京セラで成功を納めた後、全く異質の第二電電・日本航空という企業での実績を出した背景には何があるのだろうか、ということを考えてみたい。
このあたりに「賢人」の「賢人」たる由来があるように思う。


それは「合理性」にあるのではないか。
経営における、理念と合理的な発想がその本質にあるのではないかと私などは勝手に考えている。


国家的なテーマに対し、有識者会議にもこのような「賢人」と呼び得る人物を参画させることが望ましいのではないだろうか。
「賢人」とは、「有名人」のことではない。

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