2016年3月2日水曜日

171:国際社会はどう評価するか

日本が米国に次ぐGDP2位の時代には、日本および日本人は、国際社会で高い評価を受け、尊敬もされていた。
「失われた10年」が30年になろうとしている今日、日本への国際社会の評価はますます低下の一途をたどっているだろう。


ところで、ハーバード大教授の、Joseph S. Nyeが「ソフト・パワー」という概念をはじめて使ったのは1990年の『不滅の大国アメリカ』であると本人が述べている。
氏は、「ソフト・パワーとは(中略)強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的な理想、政策の魅力によって生まれる」と定義を行っている。


今回の前経済再生担当相の利権に基づくスキャンダルはNye教授の言う「ソフト・パワー」の力を著しく低下させたといっても過言ではない。
ひとりの日本人として、肩身の狭い思いをしないひとがいるとすれば、彼は、国際社会における恥をしらない、と言われても仕方がないだろう。
「恥を知れ」などと言うとずいぶんと日本的な考え方ではないか、と思われもするかもしれないが、英語でもこれに類する表現に"Shame on you!"があることは言い添えておきたい。




日本のメディアは、日本の現職の閣僚に対してはものごとを遠慮して言う傾向があると思われる。
その証左として、今回の甘利辞任劇が国際社会の日本のイメージについておよぼす影響について書いた日本のメディアはなかったように見受けられる。


このような政治の実態がつづくと、冒頭に述べたNye教授の言う(日本の)「ソフト・パワー」は、急速に凋落していくことを我々国民は心配する。

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