日本には、数多くの優秀な人材があると言われる。
しかし、あまりこのことについて深く考えられることはなく、例えば「技術力ある日本」というような短絡的な解釈・理解が流布してはいないだろうか。
黒川清という人物がいる。
彼はつねづね「イノベーション」という語を「技術革新」と訳したことは誤りだった、という主張をしている。
「イノベーション」とは、単なる技術の問題ではなく、ものごとを考えるということについても用いることができる語なのだ、ということだ。
私がここで言いたいのも、そのようなことである。
私は、日本の重要な「資源」を効果的に活用し、非製造分野に活用するためには、何らかの工夫が必要だとかねがね考えている。
ここで言う重要な「資源」とは、思考資源のことだ。
製造業だけではもはや経済のまわらない現在、国を挙げて日本の思考資源を開発し、ソフトの分野における商品をつくることにつなげる思考が求められているのではないか。
ちなみに、思考資源の活用の原点は、『広辞苑』の「思考」の定義、すなわち「問題・課題に出発し、結論を導き出す観念の過程」であり、つまりここで重要なのは考える「過程(process)」である。
よって、思考資源を有効活用するには、問題解決や意思決定における、結論に至る考え方の工程・作法を知り、共有する、つまりこれらの標準化を行う必要がある、ということになるだろう。
このことは、日本の教育改革においても、知識偏重教育を考え直すような大きな課題であると思うのだが、いかがだろう。
日本人の思考資源を、知的な領域で結集し、効果的に活用していくことができるような仕組みが必要なのではないか。
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