2016年5月11日水曜日

180:分析という行為の本質

「分析」という言葉に関して、『広辞苑』では以下のように定義がされている。
「ある物事を分解して、それを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること」
この定義は、日本的であり、ものづくりを得意とする思考の特徴である。


我々は、「分析」と言ったときに、つい、それを目に見えるモノについてのものだ、と考えがちではないだろうか。
しかし、実際には、「分析(Analysis)」という語には、目に見えないものについて精緻に考える、ということも意味している。


ここで言いたいのは、思考過程・思考様式のような、目に見えないものについても、我々はきちんと「分析」を行い、これを確認する必要があるのではないか、ということだ。
これが行われず、目に見えるものについての「分析」ばかりが先行すると、判断業務にムリやムダが生じ、必要のないものごとに様々なリソースが割かれることになってしまうだろう。


以前の記事でも話題に挙げた、目的と手段ということについても、判断業務の「分析」として考えると、よりスピーディに精度の高い結論を得ることにつながるのではないか。


「分析」の定義にあるように、ものごとを分解して対応することが難しい背景には、日本語の特徴があると思う。
つまり、単数形と複数形を意識して区別しない言語であるということだ。


組織で上司が部下に対し、「君の部署の問題は何か」という質問をしたとしよう。
回答する担当者は、多くの場合、「これが問題です」というひとつの問題を提示するに違いない。
これでは全体像を開示することにならない。
あるいは「対策は何だ」という質問も、「諸対策は何か」とする方が望ましいだろう。


回答に複数形の“s”を付ける発想を意識したいものだ。

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